死のない世界
生命がまだいない世界では、死は無い。
死がまだない時には、死が無いのはあたりまえ。死が無い方が、普通かもしれない。
死は作られたもの。死はなぜ必要だったのか。
モノが、変化しなければ時間はない。全ての物が、何も変化しなかれば時間の必要はない。
モノが変化するようになって、時間の存在理由が出来る。速い変化なら、時間も早く流れ、遅ければ、時間も遅く流れる。
時間は作られたもの。物の変化がなければ、時間が無い状態が、あたりまえ。
モノを変化させる為には、チカラが必要。なんのチカラもなければ、モノは何も変化しない。
モノを変化させ、時間を作る為には、チカラが必要。それでチカラは作られた。
チカラが作られ、モノが変化するようになった。ただ、チカラに支配され、変化するだけ。退屈な世界。
そこで生命が作られた。それぞれのモノが、意志を持ち動けるように。
ただ、まだプログラム通りに動くあやつり人形。ただ増えるだけを目的とする、あやつり人形。
そこで死が作られる。死が出来る事で、生命が自分の物になった。生命を失う事を知る事で、その間どう生きるか、死からどう逃げるか、自分の責任になった。
生命が自分の物になった。もうあやつり人形じゃない。生きる為に、死が作られた。
もちろん全て私の絵空事。勝手な妄想。でも、この世界の最初は、チカラも時間も、死も無い、そんな退屈な状態だったかもしれない。
そこで、退屈を回避し、可能性を生む為に、この世界の物は、作られたのかもしれない。そんな事を思ったりする。