多分分かる世の中の事

意地悪

楽しいの巻

ちょっと意地悪な方が楽しめる不思議

楽しみは人間にとって必要なモノ。だからそれを求めるヒトは多い。その時に、少し意地悪な方が、楽しかったりする。全く意地悪でないモノはつまらない。それはどうしてか

意地悪というのは、出し惜しみや一部を隠す行為。もしくは物事をスムーズにいかせない行為といえるだろう。この意地悪がどうして楽しみを生むのか。意地悪がない方が、楽しめるように思うけれど

意地悪なしで、全てがスムーズに進んだ場合を考えてみる。この場合、あまりにもスンナリ行って何も残らない。何も残らないというのは、手応えがないからつまらないだろう。なるほど、意地悪というのは手応えかもしれない

確かに手応えがあった方が、気持ちが良い!ちょー気持ち良い!!

一部を隠したり出し惜しみというのも考えてみる。全部さらけ出してしまうと、そこで終わってしまう。何の物語も始まらない。出し惜しみや隠した方が、それを何とか見てやろうと、あの手この手を考え出す。それが物語になるのだろう

なるほど、ちょっと意地悪があった方が、手応えがあり物語が始まるワケか

つまりはその人自体が、何らかの参加をする機会が増えると言うコト。参加出来た方が楽しい

ヒトはほんの少しの困難があると、楽しめるというカラクリか。意地悪というのもイイのかもしれない。親切すぎるというのは、参加するコトを許さない。それは何の楽しみもない事だろう

あまりに困難が強すぎてもイヤになる。そこら辺のさじ加減が重要なのだろう。ほんの少しの困難なら仕掛けたいね

2010年3月7日〜13日までの私のブログトップ3を、わたし自身が選んでいます。よろしければお読みください。1位 あつめる 2位 ろむ 3位 べきときでした。お読み頂きありがとうございます

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