翻弄の巻
今の生活は不自由だったとしても、ホントを言えば自由だろう。もっと不自由な状態というのはある。不自由と言うよりも、まったく主体的に動くコトを許されない状態
これは戦時下。戦時下というのは、翻弄されるばっかりで自分で動いているわけではない。勝手に動かされてしまう世の中。現実にそういう状態がある
戦争は外側に攻撃するモノだろう。ただ、実際は内側に対しても攻撃してくる。あれしちゃいけないコレしちゃいけない、こうでないといけないああでないといけない
外と戦う時に、内側の人間が協力的でないと成り立たないのだと思う。それで協力する事を強制する。それは見落とされがちな事実だろう
戦争は主体性を奪われ、来る危機に対して逃げ惑うか、いいなりになって動かされるかしかない。どちらにしても主体性が無く、翻弄されるだけ
逆に平和というのは、構築するべきモノだろう。本来ならば、主体性を持って自分たちで作っていかなければいけない。ただ残念ながら日本においては、平和を構築するという意識は非常に薄い
戦争と言っても、ほんの些細な小競り合いで起こってしまう事もある。それはまるですり鉢状のモノであり、いつの間にか抜け出せなくなってしまう。つまりよくある泥沼化
人が死ぬコトで感情的になる。これは誰でもそうだろう。感情的になれば、目先の行動に走る。これがマズイ。なぜならば、感情的な行動には、論理的な正当性がないから
論理的な正当性がないと、困った事が起きる。それがすり鉢状で泥沼化する原因でもある。その困った事は何かと言えば、対象の不的確さ
やられたらやり返す、倍返しだ。こんな報復だったとしても、対象は的確だと言える。対象が的確ならば、論理的には成立する
感情で動いてしまう場合、対象が拡大して、本来攻撃してはいけない人間にまで、被害を及ぼしてしまう。これはとてもよくある間違った行動
これは感情的には良くても、論理的には成立しない。感情がやらかしてしまった後始末を、論理的な脳でも手に負えない状態。そうなったら、誤魔化してうやむやにしてしまうしかない
やった方はそれで良いけれども、やられた方はうやむやでは治まらない。それでまた感情的な反撃をして、さらに不的確な対象を殺めてしまう。その繰り返し
もしも対象が的確ならば、論理的な脳がいくらでも処理出来る。そうなれば、冷静に論理的に対応が出来てすり鉢からはすぐに出られるようになる
困ったモノだ。人というのは、感情にまかせて大雑把に対象を攻撃してしまう。その雑さがすり鉢状の事態を生み、泥沼化する現実を作ってしまう
人はまだそう言う段階。困った事だけれども、感情的になった人間は、対象を拡大させてしまう。それで取り返しのつかない事態を招く。この対象の不的確さが、最大の問題
平和は構築されるモノとするならば、対象の不的確さを無くすコトが一番の早道かもしれない。対象が的確ならば、まだ後戻りも出来る。うやむやにしないで、論理的に対応するコトが出来る。全ては対象の不的確さが生む事態
戦争は翻弄されるモノ、平和は構築されるモノ。平和の為には不的確な対象への攻撃を、世の中から消し去るべきだろう。感情の世界から、論理的な脳が支配する世界に引き戻す事が何よりも大切、そう思う
感情的になると、どうしてもやり過ぎちゃう。このやり過ぎちゃうのが、不的確な対象への攻撃だね。それさえ無くせれば、いつでも後戻りが出来る冷静な状態になれるってコトだね
2008年2月3日〜9日までの週間トップを発表します!1位 脳 2位 ないがしろ 3位 生かし合いでした。そうか脳ってみんなが持ってる宝物なんだね。なるほどなるほど!!宝物を大事にしようね!!