多分分かる世の中の事

その前

善悪と損得の巻

性善説や性悪説という、人を善と悪に分ける考え方がある。とってもポピュラーなこの考え方は、これからも幅を利かせていくだろう

これから話すのは、善と悪の手前にあるもの。善と悪というのは、実は原点ではない。原点は別にあって、そこから善と悪とに別れてしまう。善か悪かは、行動で決まる

どういう行動をとるかで、善か悪かは決まる。行動というのは、目的というよりやり方。やり方なので、それは原点にはならない。原点は目的の方だろう

その目的のために、善の行動をとるか、悪の行動をとってしまうか。それが決まるのだろう。さてでは、その目的とは何だろうか

これは、損得だろう。損得というのは、単純に自分が得をするか、損をするか。そう考えていい。自分が得をするために悪になる。損しないために悪になる

悪という行為は、必ず自分が得をするか、損をしないために行われる。外側から見れば、ただの悪でしかないが、必ず得をする為か損をしない為に行動している

大元にあるのは、損得だろう。ここで重要なコトがある。それはやり方というのは、沢山あるというコト。つまり、得をするための方法の中には悪にならない方法もある

さらに損をしないための方法も、悪にならない方法もありうるというコト。やり方は、一つと決まっているワケではない。ではなぜ、悪になってしまうのだろうか

悪というのは、自分一人では出来ない。相手がいて始めて悪が存在出来る。悪というのは他人のコトを考えない、未熟な行動だろう

未熟な行動というのは、自分の得しか考えないところから起こってくる。悪になってしまうのは、相手の事を考えないからだろう。自分の得しか考えないので、相手の不利益なコトをしてしまう

これは困った事だけれど、人類がずっとやってきたコトとも言える。重要なのは、自分の得と相手の得を考えるコトだろう。自分にも相手にも得になるやり方を見つける

自分だけの得で行動してしまえば、悪になるだろう。自分にも相手にも得になる方法が見つかるまで、考え続けよう。それが見つかれば悪になることはない

結局悪とは安易な行動なのだろう。とするならば、その人が生まれつき善や悪かが決まるワケがない。性悪説も性善説も間違いだろう

善になるか悪になるかは、相手の得を考えて行動出来るか、自分の事だけ考えて行動するかで決まるのだろう

もしみんなが相手の得を考えて行動出来れば、善しか居なくなる。相手の得ばかり考えては、自分が生きていけない可能性もあるので、自分の得と相手の得の両方を考えるべきだろう

おそらく人間はまだ両方の得を考えるコトに不得手。その段階では、性善説も性悪説も存続し続けるだろう。善か悪かは、行動で決まるのに。悪になるのは未熟なだけなのに。今はまだ、自分の得と相手の得を考えられる方から、次の段階へどうぞ!となるだろう

2007年12月23日〜29日の週間トップを発表します!1位 見た目 2位 ガッカリ 3位 手術でした。

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