ジワジワの巻
生活形態について考えてみたいと思う。なぜそんな事を考えようと思ったかと言えば、これがとても曖昧なモノだから。曖昧なままでも良いのだけれど、結構重要な要素と思える
劇的に変化する。生活形態というのは、劇的に変化する事がある。もちろん個人の成功による、生活形態の変化もあるだろう。たが、もっと大きな劇的な変化の方に意識を向けて欲しい
外からの変化。日本で劇的な変化があったのは、明治期だろう。黒船が来てからの日本は、あらゆる生活形態がガラリと変わってしまった
これは文明の差がそうさせたのだと思う。明らかに進んだヨーロッパの文明に出逢い、日本は劇的に変わったモノと考えられる。ただ、そこから暗黒の面も出て来てしまう
暗黒の面というのは戦争で、文明が進んだ分兵器も格段に破壊力が増してしまった。これにより世界は、非常に苦い歴史を作り上げるコトになったのだろう
ここで考えたいのは、文明の差を埋めるために、暗黒面が必要かと言うコト。絶対に必要ならば仕方がないが、もしも暗黒面を外せるのならば外してしまった方がイイ
さて、文明の差を埋める時、戦争や紛争は必要なのだろうか。戦争や紛争を外して、文明の差を無くせるやり方はどうすればイイのか。これを今日は考えてみたい
元もと一緒のモノなのだろうか。文明の差が出来てしまうのは仕方がないだろう。だけれども、それと紛争や戦争は一緒のモノではない。あくまでも、文明の差が利用されてしまったものだと考えられる
文明の差というのは、魅力的なモノだろう。正直、意地悪せずに文明の差を埋める事も可能だと思う。そのまま、教えてあげればいい
ただ、ここで気をつけないとイケない事がある。気をつけないとイケない事とは、生活形態の変化は、しれ〜っと行われて、それ以前の状態を忘れてしまいやすいと言う事実
つまりちゃんと意識下に置いて記録しておかないと、みんな当たり前のように変化していってしまうというコト。当たり前というのが、結構なくせもの
当たり前というのは、意識下に置かれなくなるというコト。意識下に置かれないと、それは無かった事のようになってしまう。劇的な変化があったにもかかわらず、それが物事を考える要素から外してしまう
つまりは、産業革命以来文明の差は広がったわけだけれども、その差を埋めるプロセスは、物事を捉える要素から完全に抜き取られている
とっても重要な要素を外してしまっているので、話の意味が分からなくなってしまう。紛争や戦争というのは記録に残るのだけれども、文明の差が埋まっていくプロセスは記録に残りにくい
記録に残ったとしても、自国でのみの記録で、しかも知っているのは一部の学者などに限られてしまう。出来れば世界中で、共有したい事。なぜならば、それ以前の生活実態というのも、とても大切な資料だから
さらには文明の差を埋めるためとはいえ、残酷なコトを出来てしまう人間の姿も浮き彫りにしたい。人がどんなモノなのか、その姿を浮き彫りにして暗黒面を否定出来るように
前世紀は戦争の世紀だった。もう充分サンプルは採れていると思う。であるならば、それを分析して同じ間違いを起こさないようにするというのが、今世紀の人間の務めだろう
その時、抜け落ちがちな要素である、文明の差が埋まるプロセスもしっかりと入れて分析していく。ヒトの行動を全部把握して、その上でどうするべきかを考えていくべきだろう
この世紀の人間として、紛争や争い無く文明の差を埋めていく。その方法論を考えて実行していく事。それは、前世紀の人達の死を無駄にしない事にもなるだろう。今やるべきコトは、前世紀を引きずる事ではなく、熟慮の上にこの世紀を作り上げていく事だろう