多分分かる世の中の事

学者

中身の巻

学者同士の話し合いというのを、テレビなどで見かける。それ以外でも、学者同士の話し合いはあるようだが、どちらにしろ中身が小さい。中身が小さいというのは、中身以外のモノが多いというコト

学者同士というのは、この本はどうだったかとか、この文献はどうとか、この定理はどうとか、そんなモノをひけらかして満足してしまうらしい。それで中身が小さくなる

学者というのが、そういう仕事なのだろう。知識のひけらかし合いならば、アニメオタクもやっている事。登場人物の長いフルネームを言い合って、マニアックさを競っている

どうやら、知識も究極まで行くと、ひけらかし合いで終わってしまうらしい。ひけらかして、お互いに何の結論にも至らないまま満足するのかもしれない

中身は本当に小さい。物事の核心に辿り着くコトもない。それで平気なのかと言えば、平気だと思う。物事の核心に辿り着くコトを、目的としていないのだろう

だいたいアニメを見ている人が、アニメの核心を求めているハズがない。それと同じだろう。学者は文献のファンなのだ。おそらく大ファンと言ってイイ。自分がどれだけファンかを言い合っているだけだろう

学者さんはいろんなコトにくわしいが、それは知識の大ファンだからだろう。知識というのを使うのではなく一方的に楽しむ人々。その人たちが出来る事は、くわしいという事実だけ。一つ聞けば、いくつか知識の中から引っ張り出してくれるのが学者だろう

それでも学者は、それなりにモノゴトを考えているように演じないといけない。なぜならば、それを求められているから。何らかの答えを出してくれる存在だと、周りが期待してくる。その期待に学者さんは応えようとはしてくれる、それは間違いない

答えようとはしてくれるが、学者さんは知識の大ファンなだけなので、物事の核心に行くコトはない。ではどう期待に応えるかと言えば、蓄積した知識の中から適当に、それらしいモノを引っ張り出してきてくれるだけ

こんな事を書くと、学者をバカにしているようにも捉えられるかもしれない。私にはそんなつもりは毛頭ない。ただ、能力の種類が違うと言いたいだけ

学者は知識の大ファンだから、核心には辿りつかないよと言いたいだけ。アニメオタクと変わらない、知識オタクの別名が学者だろう。であるならば、学者に答えを求めるべきではない

コレを見てそんなハズはないと思うヒトも多いだろう。機会は少ないだろうが、学者同士の話し合いにもしも出逢ったならば、確認して欲しい。核心に近づくことなく、知識のひけらかし合いが大半なハズだから

お互いに知識の殻の中で、自分を守っているのだろう。なので都合が悪くなるほど、自分の知識の中に逃げ込む。噛み合わない会話があったら、そういう事だと思ってイイ。ともかく知識は逃げるには便利。いくらでも煙にまける。分が悪い学者ほどそれをやるので、そういう所に注目しても面白いと思う

今日は別に学者の悪口を書く目的はない。ただ、学者というのはとても特殊な世界に生きていて、みんなが思うほど万能ではないというコト。知識のファンだと思っていたら間違いない。それを言いたいだけ

2007年8月26日〜9月1日までの週間トップを発表します!1位 まじゅつ 2位 リアクション 同率3位 エネルギー化 3位 すべてでした

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