どんな所の巻
このブログで、豊かになるほど苦しむ。そういう不思議な内容を書いた。おそらく誰もそんな事は考えていなかっただろう。今日はそれに関連して、極楽の姿を考えてみたい
豊かになると苦しむというのが真実なら、極楽のイメージもグラつく。そんな思いから、極楽というモノがどんなモノなのかを、イメージし直そうと思う
極楽は豊かではいけないのだろうか。極楽というのが本当にあったとして、そこが豊かならみんな自分の時間を欲しがると予想出来る。その時、どんなコトが起こるだろう
みんなバラバラで、自分がしたい事をするだけ。自分の時間を持っていたい。その思いが強いほど、人はバラバラになるだろう。そのうち他の人と接するコトすら、忘れてしまうだろう
自分のしたい事だけをする。ただただ自分のしたい事、ずっとその事に時間を使う。楽しいかもしれない。だけど何かがオカシイ
おかしく感じるのは、孤独だからだろう。極楽のイメージとして、孤独という感覚はなかった。それが、豊かさを突き詰めると孤独となってしまう。この違和感は何?
極楽で苦しみは許されないだろう。とすれば、極楽は自分の時間は妨げられずに自由に使える。この自由でいるというのは、孤独に置き換えられないだろうか
確かに苦しみが無く、豊かでいられるなら、孤独でもイイような気がする。それが極楽のイメージでも、イイような気がする。だけど何かがオカシイ
自由というのは、状況によっては排他的でもあるのだろう。豊かになると自分の時間を求めるのだから。そうか自分の時間自体が排他的なのか。自分の時間とは何だろうね
自分の時間は、自分の為の時間。自分の為だから自分の事しか考えないでイイ。それは排他的にも通じる。極楽って、それが許される所だというのか
なんだ、極楽って不健全だ。極楽に対するイメージが変わった。極楽を求める人のイメージも変わってしまった。極楽なんて人間をダメにするだけだ、不健全きわまりないだろう
危機感が有って、人は健全になれるのか。死の恐怖があって、ヒトはヒトと繫がれるのか。豊かさを求めるけど、それが苦しみを増やしていた。何とも複雑な結論だ。複雑だけど妙に納得出来てしまう
思いもよらない答えが用意されていたらしい。極楽がちっぽけに見えて来た。極楽なんかより、この世の中で、協力して生きていけた方が健全らしい。気づかされた、そんな裏テーマがあるもんなんだね
2007年4月の月間大賞を発表します。4月の月間大賞は、思われたいモノに決まりました。ホントにね、自分の事だけしか考えないのは、今現在にいっぱいある。誰かを助けて、未来のヒトからえらいって言ってもらえるんだろうね