禁断の巻
今日はクレイジーな内容〜
お金を得れば幸せになれるか?とてもよくある質問。先進国がリードしてきた経済は逆回転し始め、大転換期を迎えている現代。今まで通りの全てが、先細って行く未来が見えてきた
先進国は充分に物に溢れきっている。その中で物を売るのは、どんどん困難になる。少なくとも増える事はないだろう。その中で、物に溢れきった国がとるべき次の段階はなんだろうか
お金を沢山持った人にも不安はある。不安と言うよりも罪悪感や、漠然とした虚しさ。それで救いを求める。いつの時代も救いを求めるコト自体に変わりはない。だったら次の段階とは救い
寄付をする。キリスト教は、金儲けを悪とはしないと聞く。その代わり、お金を儲けた者は、積極的に寄付をする。寄付するコトで救われているのだろう
日本はどうなのだろうか。日本の宗教はお金儲けを悪とする傾向にある。お布施はあっても、それは寺の懐に入る。それによる救いがあるとも思えない。あると言えばお賽銭だが、これも神社のモノになるだけ。救いであっても困っている人を助けたりしないのが、日本の宗教。そこで提案してみたい
あえて救いをビジネスにしてみよう。救いの株式会社を作り、独自のチケットを発行する。社会の為に働く者にチケットを渡す。チケットを溜めれば自身の階級を上げる事が出来る
このチケットは人に売るコトが可能。ただし、階級は自身のモノであり人には売れない。このシステムで何が起こるかと言えば、社会の為に働くモノや、お金を払った者の階級が上がる。階級が上がることに価値がある
さてお分かりのように、今日はかなり禁断の領域に入っている。宗教のカタチではなく、救いを株式会社にしてしまっている。かなりクレイジーな内容。クレイジーなまま続けて行こう
社会の為に働ける人は、特定の人だと思っている。一番は当事者。当事者は痛みが分かっているので、自分のコトのように働けるのは分かり易い構図。他のヒトなら厄介ゴトからは逃げたい、それも当然だろう。逃げて良い。ただ、お金を払ってチケットを買うコトで救われて欲しい
やりたくない人はやらなくて良い。でも救いのためにお金をね。そういうこと。お金のない人は、実際社会の為に働けばいい。困っている人を助ければいいだけだろう
条件により、お金を貰える。ホームレスなど生活に困っている人にお金を渡す。チケットを買って貰ったお金を、国の支援が届かない人達に渡していく。場合によっては、お金ではなく物品
貰った人は半分は自分の物とし、しっかりと受け取る。あとの半分は次に困っている人に返す。つまりは貰いっ放しを不健全とする仕掛け。不健全な位置に置き、将来は誰かに返すという仕掛けをしたなら、貰い続ける事から抜け出せなくなる事態は防げる。プラス、貰った人間の階級は下げる。貰った分を返せたら階級は元に。そんな仕組み
階級はただの気休め。気休めであっても、それだけその人が社会の為に貢献した。それは間違いないだろう。その貢献こそが救いになると考える。もちろん自己満足、救いは自己満足で良いと思う
もしも、公共の職業に就く時、この階級以上という条件を出したならどうだろう。例えば政治家。議員になりたいなら、お金を払ってチケットを買い階級を上げる。お金が無ければ、直接社会貢献をしてチケットを溜めれば、階級を上げられる
困っている人と直接すコトは、議員としてマイナスはない。どちらかと言えば、絶対に必要な経験。勿論の金で買うコトも出来るのだけれど、それはそれで良いように思う。救われる人が居るのだから
人を救えば自分が救われる。国が取りこぼしている人達を救うため、さらには生きる上で意義を見失った人達に意義を持って貰うために、この救い株式会社構想は存在する。もちろん構想の段階であり、構想のままでも良いだろう。これは意識の問題
取りこぼしてきた何か、それを埋めるのに充分な仕掛けが救い株式会社にはある。今は構想でシステムにも穴がある。ただ、もっと充実させて現実化出来たなら、そんな世の中を見てみたい。人を救うことで自分が救われる世の中が訪れる
合理的な物質社会で、置き去りにしてきた物を再評価したい。人も物のように処理されてきた。これにより失われた物を、救い株式会社で取り戻したい。成長をし続けて成立する経済ではなく、分け合える社会が救いのメカニズム。それを次のとるべき段階の世の中と考える
なんでこの頃こんなしゃべり方だったんだろうな〜。
2007・2/4〜10の週間トップを発表します。1位通過点2位良い子ちゃん病3位せいくらべでした