ブレーキの巻
こんにちは。今日みなさんと考えて行きたいのは規制。この規制、かなり嫌われている。実際とても厄介な物でもある。本来はとても必要だと思うのだけど、なぜ嫌われて厄介な物とされるのか。早速探ってみたい。いけない・・・・・・・・・・・・・・・・
してはいけない。行動を抑える、何ナニしてはいけないが規制で、禁止を示す。禁止と自由は相反する物。「自由な社会の中で禁止するんだから、よっぽどなんだろうね。」いのち・・・・・・・・
命を守る。絶対に必要な禁止は、命を守る為のモノ。自由な社会とはいえ、命が危険にさらされて良いハズはない。命を守る為の規制なら誰も反対しないし、文句も言わない。「命を守るだったら、よっぽどの事に入るからね。」じゆう・・・・・・・・・・・
相反する自由。禁止と相反する自由自体はどんなものだろう。最初に自由な社会と言ったけれど、何で自由でないといけないのか、その切り口からも考えていきたい。「規制を考えるよりも、相反する自由の定義をまず固めておこうって事だね。」こまる・・・・・・・・・・・
困る存在。自由では困る存在がいる。人を道具のように扱いたい存在にとっては、自由を許す事はとても厄介。自分達の都合で動いて貰いたいのに、自由に動かれたらそれが出来ない。「人を道具のようにって、ヒドいけど昔から結構ある事実なんだよね。」しはい・・・・・・・・・・・
支配する。人を支配する歴史。くり返されてきたのは、人を道具やモノのように扱う支配の歴史。その時人は人ではなく、モノのように扱われる。「代わりがいない支配層と、いくらでも替わりがいるモノに分けられてしまうんだね。」ひと・・・・・・・・・・・・・・
自由は人。イイなりになるのはモノ、自由は人。人が人でいる為に、自由は必要。誰かの都合で動かされるのではなく、自分の意志で動ける、それが自由。「モノや道具として扱われてきた歴史があるからこそ、人である為の自由が必要なんだね。」きせい・・・・・・・・・・・・・
相反する規制。自由と相反する規制。禁止する規制というのは、気をつけないと人の存在を否定するモノにもなりかねない。実際中国やロシアでは人がモノのように扱われているような、規制があるように思う。全ての規制が悪いとは言わないが、支配層に都合の良いような規制が存在しているように思う。だんだん規制の恐ろしさが分かってきた。分かってきた所で、今日は一端締めて明日に譲りたいと思う
規制と自由の関係性が見えて来た。人である為に、自由は譲ってはイケないんだという事も。そして、誰かの都合による規制を許してはいけない事も分かってきた。おそらく規制に対しての意識はとてもルーズ。それだけにおかしな規制も許してしまったのだと思う。規制と戦わなくちゃいけない。明日は規制がどうあるべきかなどを、キッチリと考えていく。みなさんも一緒に考えて頂けると有難い。それではまた明日をお楽しみに〜〜〜〜〜!!