感想の巻
今日は先日国民について考えた時に出て来た、記憶と心理的な影響があまりにもすごかったので、その事についてダラダラ書いてみたい。なので今日は、流して見てね。そんざい・・・・・・・・・・
大きな存在。子供の頃の記憶は、大きな存在。大人になっても、子供の頃の記憶は残っていて、しかもそのまま大きな存在に育っていく。大人よりも大きな存在に、守られているイメージ。「大人達に守られていた子供の頃の記憶が、大人になっても残る不思議。しかも記憶が育って、自分よりも大きな存在がいるように思えるって言うのも面白い。」あんしん・・・・・・・・・・・・
安心出来る。子供の頃の記憶で、安心出来る。大人になってから、どれだけ精神的に安定してるかは、子供の頃に決まる。とても不思議だけれども、遠い記憶が自分の存在を肯定してくれているのだろうと思う。「遠い記憶って、おぼろげなんだけどとても大きな存在だよね。」ゆうずう・・・・・・・・・・
融通が利く。おぼろげなので、いくらでも融通が利く。形あるモノは限界があるが、おぼろげならいくらでも大きくできる。それは優れたクッションと言える。ある程度の事なら、受け止めてくれる。「自分の中で大きな存在に変えられるから、どんなコトがあっても自分を受け止めてくれるんだね。」ふあん・・・・・・・・・・・
不安になる。安心を得ていた分、不安になる。もしもその大きな存在を失ったとしたら、とても不安になる。実際に記憶がなくなるなんてコトはないけど、もし失ったら不安になる。その大きな存在を国にすり替えて、不安を煽って利用したりもするんだね。「国土を失うと、その大いなる存在も失うって言うすり替えは、巧妙かも。」つづける・・・・・・・・・・
生き続ける。記憶がある限り、大いなる存在は生き続ける。世の中がどうなったとしても、子供の頃の記憶があれば、大いなる存在となって自分を守ってくれる。子供の頃の記憶って、とても大切でありがたいモノ。であるからこそ、それを利用して恐怖を煽る存在は許せない。恐怖を煽って、自分達の都合で人々を操ろうとする存在。人の一番大切な部分を利用しているだけに、絶対に許してはいけない。ダラダラと書いてしまったが、人の心は本当に複雑。記憶というモノの隠された意味も、とても興味深い。これで今日は締める。また次回をお楽しみに!!