噛み合わないの巻
テレビを見ていて、教育についての討論をしていると、だいたい噛み合っていない。なぜ教育の討論は噛み合わないのか?というコトを、今日はみなさんと一緒に考えてみたい。ようそ・・・・・・・・・
要素が多い。おそらく教育というのは、考えるべき要素が多い。要素が多いというコトは、それぞれが主張したい対象が沢山あるってコト。なので噛み合ってくれない。「噛み合ってこそ話し合いだけど、要素がいっぱいあり過ぎて方向性がバラバラになっちゃうんだね。」ただしい・・・・・・・・
みんな正しい。主張している内容は、それぞれみんな正しい。正しくても、噛み合わないという現象は起きる。要素が沢山あるという、教育の特性をみんなが知っておかないといけない。「知った上で、合わせるようにしないといけないんだろうね。」みかた・・・・・・・・・
どんな見方が良いのか。教育論議について、どんな見方をすれば良いのか。やる側もそうだけど、見る側としても、どこを見ると分かり易くなるんだろう?その鍵とは何だろうね。「さて、鍵という言葉が出て来た。鍵という言葉が出ると、核心に近づいているってコトかな?。」ながれ・・・・・・・・・・・・・
大きな流れ。教育を考える上で、二つの大きな流れがある。これは、教育のどこにスポットを当てるかで、二つに分かれるというモノ。この二つの大きな流れは何であるか、是非みなさんにも考えて欲しい。この二つが分かると、教育というモノの本質も見えてくる。大きな流れなので、だいたいそこで対立もしている。果たしてそれは何なのか。是非みなさんにも考えて貰いたい
というコトで、確信に辿りつく前に今日は終わらせて頂きます。私なりの解答は、日曜日を挟んで月曜日にしたいと思います。みなさんもみなさんなりの答えを、考えておいて下さい。それでよろしければコメント欄に書き込んで下さい。出来る範囲で構わないので。それでは明後日の解答編を・・・・を・・・・・・を・・・・・・・を!!お楽しみに〜〜〜〜〜!!