一番大切なモノの巻
<悔しいは、略奪感。自分がやろうとする物を、奪われた感覚。それだけに本当に大切にしている物とも言える>
ちょっと前に、自分探しって言葉が流行った。今はもうフェイドアウド気味だけど、この自分探しというのは、自分が何を一番大切にしているのかと、関係しているような気がする。今日はそんな話。見極め・・・・・・・・
何が大切かを見極める。自分が何を大切にしているかなんて、自分のコトだから簡単に分かりそうなモノ。分かりそうなモノだけど、本当にそれが大切なのかと尋ねられると、胸を張って答えられる自信はない。本当に大切・・・・・・・・・・・
本当に大切な物。それはどうすれば見極められるだろう。自分が大切だと思っても、よく考えると誰かが言っていたからとか、そんないい加減な理由も多い。それじゃその人の大切な物だろ。というモノばかり。譲れない・・・・・・・・・
大切な物は譲れない。もしも誰かに先を越されて悔しければ、それは大切な物かもしれない。悔しくて悔しくてしょうがない。それは譲れない物で、自分が本当に大切にしている。悔しさという感情は、心の底から涌いてくる。悔しい・・・・・・・・・・
先を越されて、なぜ悔しい。悔しさがあるのは、自分も同じ道を歩いているから。自分も参加者であり、同じ道を進んでいて、にも関わらず先を越されてしまう。自分のしてきたコトが無駄にもなり得る。やろうとする事・・・・・・・・・
自分がやろうとする事。それを先にやられて、それまでの自分が徒労に終わる。誰かが良いと言っていたモノでは、その気持ちは弱い。悔しさは、自分のやろうとする道においてしか、発生しない。幸せ・・・・・・・・・・・
幸せと言える。他のヒトに先を越されてくやしいコトを、今自分がやれているなら、それは幸せ。そしてその道を選んでいるなら、間違ってはいない。決してラクではないだろうが、その道であっている。辛い・・・・・・・・・・
あってはいても、辛い。とても辛いと思う。おそらくラクをしては、誰かよりも先に辿り着くコトは出来無い。自分が本当に大切にしている類の幸せは、辛さが伴う。辛さが道を進んでいる証拠。理解者・・・・・・・・・・・・
理解者はいない。自分の大切にしているコトをしている時、理解者がいるという保障はない。というより、誰からも理解されないコトがほとんど。誰もが理解出来るコトは、ありきたりだから、当然と言える。孤独・・・・・・・・・・・
孤独な道。大切にしている物を突き詰めるほどに、孤独な道になる。道すら無いと言ってイイ。誰からも理解されないし。あまりお勧め出来る物ではない。それでもやるのかと訊かれて、やると答えるならば本当にじぶんがやるべき大切なモノ。損得を越えた、役割なのかもしれない。というのを結論として、締めましょう
悔しいは、略奪感。自分がやろうとする物を、奪われた感覚。それだけに本当に大切にしている物とも言える
そうか、自分の中での悔しさって言うのは、それを大切にしているから起こってくるのか。自分が本当に大切に思える物って、案外自分でも気づいてないかもしれない。先越されて悔しいってフィルターで見れば、結構すぐ答えが見つかるってコトですね。これって、結構自分の生き方決める時には、重要になってくるってコトかもしれない。そんな事を思いながら、明日です
明日は『人に』というタイトルで、求められるモノについて考えます。お楽しみに!!!