生き場所はどこだ!!の巻
<生きている気がするは、リアリティ。満たされていなくても、リアリティを感じる生き方なら、幸せかも>
リアリティ。案外この一語に尽きてしまう気がするんだよね。いや〜、生き方、生き様に関するコトなんだけれどね。自分のしているコトに、リアリティを感じるかどうか。満たされていても・・・・・・・・・・
どんなに満たされていても、リアリティを感じないと生きている気がしない。この生きている気というのも、とても重要な要素だと・・・・・・・・。そんな匂いがしてくるんだよね。環境・・・・・・・・・・・・
一つには育ってきた環境。とくに子供の時の生活というモノが、基準になってくる。それは一生ついてまわり、大人になっても抜けない。子供の頃の生活形態が、一番リアリティを感じる。固まる・・・・・・・・・・・
子供の頃、世界観が固まる。なんで子供の時の生活が基準になるのかと言えば、その時代に世界観が固まるから。この世界は、こういうモンなんだ。この、こういうモンは、ずっと引きずる。ウソ・・・・・・・・・
あまり違うと、ウソに思える。子供時代と、あまりにも違う。となれば、ウソにしか思えない。勿論現実であるのは間違いないし、それなりに自分の中で消化も出来るが、やはり子供時代に固められた基準を、ずっと引きずってしまう。テーマ・・・・・・・・・・・・・
もう一つは、テーマ。子供時代とは別にもう一つ、リアリティを感じるかどうかの要素がある。それはなんとなく、感じるモノ。であるからこそ、とても重要なモノのような気がする。人生のテーマ・・・・・・・・・
おそらく人生のテーマ。自分が生きるべきモノには、リアリティを感じる。生きるべきじゃないモノには、どんなに満たされていても、リアリティを感じない。それは、生きている気がしない。おかしくなる・・・・・・・・・・・・
頭がおかしくなるほど。リアリティを感じない生き方を続けていると、頭もおかしくなる。強烈な違和感を味わい続けるから。その違和感はどこから来るのか。裏切り・・・・・・・・・・・・・
自分への裏切り。自分を裏切り続ければ、頭もおかしくなる。本来の人生のテーマを裏切り、違う生き方を続ける。そりゃつらいでしょ。実際の所、人生のテーマなんて確かめようがない。リアリティ・・・・・・・・・
だからこそ、感じる。逆にリアリティを感じるかどうかが、確かめる方法ではないだろうか。自分の人生のテーマ。つまりは、満たされていなくても、リアリティさえ感じれば突き進めば良いという事。分かれ道・・・・・・・・・・・・・
実際には分かれ道。どちらに行くかなんて、その人の自由。その分かれ道でどちらを選ぶか。どちらに進んでも、それなりの結果が待っている。どっちでも正解、どっちでもOK。マチマチ・・・・・・・・・・
感じ方はマチマチ。リアリティを感じるモノは、人によってマチマチ。みんな同じではなく、それぞれ違うモノ。他のヒトと同じ人生なんてあり得ないから、リアリティ感じるモノが違っていて当然。傾ける・・・・・・・・・・・・・
ちょっとだけ傾ける。どちらか選ぶ必要もないのかもしれない。可能ならば、ちょっとだけ傾けるだけでも、それで様子を見るだけでもイイような気がする。守りながら攻める的なネ。難しい・・・・・・・・・
生きるって難しい。結局生きるって難しいね。正解がないし、それなりに無理しても生きられるし。どうなっても自分の責任ってコトになるし。それが結論なんだな。ちょっと中途半端なのだけれど、締めましょうね
生きている気がするは、リアリティ。満たされていなくても、リアリティを感じる生き方なら、幸せかも
今日は難しいテーマ過ぎたかもしれない。というのは着地点が、なかなかハッキリと見えてこないから。憶測の部分が多い為に、自分の想像で終始してしまった。まあ、こういう事もあるのだけれど、その中でも何か一つ出てきてくれたら、良かったんだけど。それも無かったというのが実状です。想像が多いと、いまいちシックリ来ないもんですね。では気を取り直して明日です
明日は『隅々』というタイトルで、精神的なモノについて考えます。お楽しみに!!