核心♪などなどなど〜

きく

訊くという行為を、あらためて考えてみるの巻

哲学・思想

<訊くは、出力。わかり合う為に、ヒトは話すし、訊く。それで孤独や虚無感を、解消出来る>

コミュニケーションの基本の一つ。それが訊くという行為。基本を探ると結構面白いコトが出てくる。経験上そう言えるのだけれども、さてさて今日はどんなんかな〜?なぜ・・・・・・・・・・・

なぜヒトは訊くのか。訊くと言う事を、人はする。おそらく何かを知りたいのだろうと言う事は、想像がつく。果たしてそれは何なのだろうか。なぜ、訊くという行為をこれだけする。無かったら・・・・・・・・

訊くという行為がなかったら。オーソドックスに、この世から訊くという行為を、無くして考えてみる。訊くコトが出来無ければ、相手の考えているコトは分からない。なぜ分からないのだろう。脳の中・・・・・・・・

脳の中は、見えない。脳の中というのは、閉じていて外側からでは分からない。ディスプレイのない、コンピューターのようなモノ。となれば、出力装置が欲しい。それが話すと言う事。呼び出す・・・・・・・・・

知りたい事を呼び出す。その人の頭の中から、知りたい事を呼び出す。それが訊くという行為。脳という閉ざされた装置から、欲しいと思う情報を呼び出すのが訊くという行為。共有・・・・・・・・・・・・・

声に出す事で、共有出来る。話すという行為自体が、声という出力を通して、情報の共有をする事になる。この共有というのは、とても重要な要素のような気がする。受け入れられる・・・・・・・・・・

受け入れられると嬉しい。共有して、自分の考えが受けいれられると、自分の存在を認められた気持ちになる。不安が消え、とても心地良い幸せな気持ち。共有は、心にも作用する。孤独・・・・・・・・・・・

脳の中だけでは、孤独なのかもしれない。脳の中は自由すぎて、それだけに孤独。自由すぎるけれど、現実は何も変わらない。頭の中の仮想現実が自由なだけで、独りよがりで孤独。虚無感・・・・・・・・・・・・・・・

脳の中で完結しても、虚無感しかない。脳の中で、どれだけうまく行っても、虚無でしかない。そんなのは嫌だし、もっと本物が欲しい。それで声という出力を使って、虚無感を解消する。存在・・・・・・・・・・・・

自分の存在を、示したい。自分の存在を受け入れて貰いたい。それが、コミュニケーションの基本。それを求めて、話をする。訊くと同時に、話したいという欲求もある。始まらない・・・・・・・・

話さなければ、始まらない。自分の虚無の中に、閉じ込められたまま。虚無だけでは、自分がいないのと同じ。それで話すという、出力をする。出力がなければ、存在しないのと同じ。訊く段・・・・・・・・

訊く段になって、何を訊けばいいのか見失う。案外多い現象。実は訊かなくても、逢うだけで成立している。逢えただけで充分満足という事も多い。だったら、無理に話す必要は無い。大半・・・・・・・・・

大半は存在の確認。コミュニケーションの中で、必要なのは、存在をお互い確認するコト。それが出来れば、話なんてする必要は無い。情報を交換しなくても、わかり合える。二つ・・・・・・・・・・・

情報と、存在の二つ。訊くというのは、情報の交換と、存在の確認の二つがある。しかも情報の交換の方が、必要性は低い。訊くというのは、添え物と考えた方がイイかもしれない。わかり合いたい・・・・・・・・・

人はわかり合いたいモノ。脳は閉ざされてしまって、わかり合えない。それで訊いたり話したりして共有する。わかり合うコトが目的なので、話が下手でも、盛り上がらなくて大丈夫。不安がるコトはなく、同じ空気を吸うだけで、わかり合える。というのを今日の結論としましょう

訊くは、出力。わかり合う為に、ヒトは話すし、訊く。それで孤独や虚無感を、解消出来る

なるほど、孤独や虚無感が結構つきまとうのか。それを解消する為に話す。コミュニケーションというのは、自分の存在を受け入れて貰いたいからなんだね。それで、自分が存在出来る。自分が存在するって、他のヒトの脳に、自分が認識されるって事なのかもしれない。それで自分が、存在出来る。これってとっても不思議なコト。自分の存在なんて、自分で確認出来るのに。他のヒトの脳で認識されたいなんてね。うん。今日も結構面白い方向に行きました。それじゃ明日

明日は『沈黙』というタイトルで、人がそうなる時について、考えます。お楽しみに!!

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