人にとっての、この嫌な感情って、なんなのだろう?
<やらされるは、屈辱。人を物化させ、道具にさせる。人は物ではないので、必要性の説明と、尊重は忘れてはイケナイ>
とても嫌なコトは、やらされる。やらされるって、とても嫌。では、なぜこれほどまでに嫌なのか。それを確認して、どうすればそうしないで済むのかも突き止めたい。昔から・・・・・・・・・・
昔から、やらされていた事は多いと予想出来る。人の営みのかなり基本的な部分に、やらされるというコトは、存在する。とても嫌なコトを、なぜしてしまうのだろうか。必要性・・・・・・・・・・・・・
はたして必要性はあるのか。やらされるコトに、必要性はあるのだろうか。これは大いに疑問。少なくともやらせている方に、必要性はあるのは間違いない。ただ、やらされている方に必要性があるかは疑問。やらない・・・・・・・・・・・・
やらせている方は、その物事をやらない事も多い。もしも一緒にやっているなら、やらされているという感情は湧いてこない。一緒にやっているので、その時の気分も何も共有している。共有があると、なぜかやらされているという思いは、涌いてこない。同じコト・・・・・・・・・・・・
同じ嫌なコトのハズだが、やらされているという思いが、涌いてこないのはなぜだろうか。一緒にやる場合は、立場が対等。同じ立場で同じコトをしている感覚がある。それで嫌な感情は湧いてこない。上下・・・・・・・・・・
嫌な思いというのは、上下の立場で生まれている。やらされているという嫌な思いは、上下の立場が要因にあると、言えそうな気がする。上から言われるだけの関係から、出てくる。人形・・・・・・・・・
まるで人形のように、操られる。やらされるというのは、命令であり、それが嫌な思いの根幹に関わっている。どうして命令が嫌なのだろうか。だんだん見えて来たので、さらに突き詰めていきたい。物・・・・・・・・・・
おそらく物として扱われている。人間と言うより、言うコトを聞く”物”。もしも物であるなら、人は物ではないから、それは嫌な感じにもなる。物化されられた自分。屈辱・・・・・・・・・・・・・・
屈辱以外の何者でもない。やっているコト自体ではなく、人と人との関わりが、この問題の重要なポイントと言える。やらされているというのは、屈辱。気づかない・・・・・・・・・・・・・・
でもやらせている方は、気づかない。屈辱を与えているなど、気づかずに強制する。おそらく立場がそうさせる。上の立場の役目として、強制は当然と考える。誤り・・・・・・・・・・・・
おそらく全ての誤りはそこにある。立場が強制を当然の役目とし、罪悪感を無くしている。屈辱を与えているなどという事は、思いもしていない。それでやらせてしまう。上の立場・・・・・・・・・・
確かに、上の立場の者は方向性を決めなければイケない。そして、やって貰う必要もある。やって貰う必要はあるが、それは強制だけだろうか?強制というカタチをとる必要があるのか?納得・・・・・・・・
たとえ上の立場であっても、納得をして貰う事は出来る。まず、必要性を説明する。説明して、納得しなければ断るコトも出来ようにする。つまり相手に決定権は渡す。対等・・・・・・・・・・
さらに、対等な立場で一緒にやっても良い。上の立場だからといって、一緒いやっていけないというコトはない。どちらかと言えば、一緒にやった方が良い。その方が不確定要素に出くわしても、すぐ対処出来る。ふざける・・・・・・・・・・・・
ではもし、対等にして、やる側がふざけだしたらどうするべきか。この場合も、必要性を説明する。それでも、ふざけるようならば切り離せばいい。打ち切ればいい。その権限を使えばいい。自由・・・・・・・・
事をするのと、そこから離れて自由にさせる。その権限は持っている。それを使えばいい。強制させたり、上の立場だからといって、絶対者になるのはやり過ぎ。それは屈辱を生むだけ。尊重・・・・・・・・・・
相手を尊重し、納得をもってやって貰う。出来れば一緒にやるのが、好ましい。やらせる、強制、物化、屈辱。そんな事にならないように。キチッと説明して、納得してやって貰う。それで解決する。というのを今日の結論として、締めます
やらされるは、屈辱。人を物化させ、道具にさせる。人は物ではないので、必要性の説明と、尊重は忘れてはイケナイ
そうだよね。ちゃんと必要性を説明するのって、大変だけど大切だよね。あと、決定権も渡す。これは困るコトだけど、結局契約なんだよね。一方的にやらせるのは、物化している。屈辱以外の何者でもない。契約して、尊重して、納得をもっていろんな事は成されるべきって事なんでしょうね。それでは明日
明日は、たまにあるまだ決まっていませんパターン。なんとかなるでしょうパターンです。はい。お楽しみにパターンで!!よろしく