面白いの境界線は、どこだろう?
<範囲は、面白さ。それぞれに面白いの範囲は違う。ならば、自分で調整。それでどんなコトでも面白く出来る>
面白いの範囲って、どこからどこなのか。これを知っていれば、いろんなコトで役に立つ。あらゆるものを面白く出来れば、こんな幸せなコトはないでしょう。出るかどうかは分かりませんが、考えてみましょう。難しい・・・・・・・・・・
難しいというのは、つまらない。だからといって簡単すぎても、退屈でつまらない。オモシロイの範囲は、難しいと簡単すぎるの間にある。その範囲を超えると、どちらもつまらない。興味深い・・・・・・・
これって興味深い。簡単であれば良いのではない。簡単すぎると、退屈でつまらないとなってしまう。当然のコトだが、難しすぎるのもつまらないになる。これは、面白いが範囲である事を表している。両極・・・・・・・・・・・
両極にあるのは、つまらない。面白いは、間にある。物事そのモノが、つまらないのではなく、範囲から外れるとつまらなくなる。であるならば、いつでも範囲に入れてしまえば、どんなモノでも面白くなるのではないか?対応・・・・・・・・・・・
両極での対応を、考えてみたい。もしも難しすぎるならば、簡単な方に対応していく。物事を分割して、一つを小さくする。いきなり沢山にすると、難しいので小分けにする事で、難易度は下がる。繰り返し・・・・・・・・・
小分けにして、繰り返し。沢山くり返せば、慣れてくる。その為の時間を確保する。焦りは禁物で、ともかく時間をかける。そうすれば難しい所からズレて、面白い範囲に入れるコトが出来る。簡単過ぎる・・・・・・・・
簡単過ぎる方は、どう対応すればいいのだろうか。この場合は、時間を短縮する。時間を圧縮する事で、難易度は上がる。時間当たりの量を増やし、その目標を達成出来たかを確認する。こうすれば、難易度が上がり面白いの範囲に、入れ込む事が出来る。調整・・・・・・・・・
どうやら、自分で調整するコトで、面白いの範囲にズラすコトは可能らしい。どんなコトでも、自分で調整して面白いにするコトが出来る。これは大発見。分野に関係なく、面白いに出来れば、嫌いにならなくて済む。他人・・・・・・・・・
そこで重要なコトは、他人と同じにしない事。ヒトそれぞれ、能力が違う。能力によって、面白いの範囲が違う。違うのに、他人と同じにしてしまったら、意味がない。範囲から外れて、つまらないになってしまう。違う・・・・・・・・
違うというのが前提。それを前提として、自分なりに調整する。もちろん、あらゆるモノは自分の為には作られていない。だからこそ、自分で調整するコトが重要。難しければ小分けにして、時間をかける。簡単過ぎれば、時間を短縮。こっそり・・・・・・・・
場合によっては、コッソリと調整する。みんなと一緒にやらなければイケナイという状況も、よくあるコト。その場では一緒にやって、あとでコッソリ自分で調整する。面白いに調整して、自分の能力を高めてゆく。一緒・・・・・・・
みんな違うのに、みんなの一緒というのが乱暴。でも、それでも仕方がない。世の中はそんなモノ。ならばこそ、自分で調整するコトが何よりも大切。っていうのを、今日の結論として締めます
範囲は、面白さ。それぞれに面白いの範囲は違う。ならば、自分で調整。それでどんなコトでも面白く出来る
なるほど、どんなモノでも面白くなるんだな。みんなと一緒の場合は、お持ち帰りになるんだろうけど。それでも、自分の面白い所に調整すれば、嫌にならなくて済むね。こんなやり方、もうチョッと早く知りたかったよ。ホント。愚痴った所で、明後日です
明後日は『未来と過去』というタイトルで、出てくる考えについて、考察します。お楽しみに!!