厄介ゴトを持ってくるヒトと、どうつきあうべきか?
<背負い込むは、厄介ゴト。それは恩返しであり、自分で決めてきた、一つのゴール。覚悟を決めて、受け入れましょう>
厄介ゴトを持ってくる。とても面倒なコトを、言ってくる。こんなヒトとどう付き合うべきか。いろんなコトで、自分にマイナス。そこで重要になるのは。背負える・・・・・・・
背負えるかどうか。もし背負えないのならば、その旨を伝えて、諦めて貰うしかない。でも、背負えるのであれば、覚悟を決めて背負う。なぜか・・・・・・・・
なぜかと言えば、自分も厄介ゴトを、持ってきていたハズだから。自分もいろんな厄介ゴトを持ってきては、誰かに背負って貰ったハズ。であるならば、背負える厄介ゴトを、拒むべきではない。先輩・・・・・
自分の先輩達は、自分の厄介ゴトを背負ってくれた。先輩というのは、だいたいの場合年上となる。でも、基本的には年だけではない。年が若くても先輩もいるし、歳を取っていても後輩もいる。あくまで状態でのコト。後輩・・・・・・・・
後輩というのは、大体マイナスを持ってくる。厄介ゴトを持ってくる。それを引き受けて、背負い込む覚悟。先輩として、背負い込む覚悟がいる。お礼・・・・・・・・
しかも、背負い込んだ所でお礼もない。それが普通。それでも背負い込めるかどうか。見返りを求めない、手助け。それが出来るかどうか。試される・・・・・・・・・
それを試されている。見返りや、お礼を求めてしまうか。それが無くても出来るかどうか。自分に突きつけられている。別にやらなくてもイイ。やってもイイ。その分かれ道。自由・・・・・・・・
どちらを選ぶかは自由。その自由の中で、背負い込む事をするのかどうか。実際、それによって何が変わるのだろうか。背負い込む事を選んだ場合、どんな変化があるのだろう。逃げない・・・・・・・
背負うを選べば、逃げないという事が確定する。逃げない自分になれた事は、確定する。これは何を意味するのだろう。自己満足だろうか?恩返し・・・・・・・・・
自己満足でもイイかもしれないが、おそらくは恩返し。そして恩を返せるようになったという、自分の確認が出来る。恩返しなので、相手に見返りを求めないのも当然。次のヒト・・・・・・・・
自分に返してくれなくても、次のヒトに返してくれればいい。それで恩返しはまわっていく。自分はその中の一人となる。貰いっぱなしじゃ、申し訳ない。恩返しのループの一部になれた、自分を確認。やっと・・・・・・・
その時には、やっとなれたという感じ。おそらく最初から、そこに辿りつくつもりだった。それがやっと出来るようになったというコト。背負うというのは、最初から決めていた事。生まれる前・・・・・・
おそらく、生まれる前。そして自分で決めてきた事。そこから逃げても、いずれ背負わないとイケない状況になる。なぜなら自分で決めているから。それで、やっとその存在になれたという気分になる。目的・・・・・・・・・
それを目的に生きている。そう言っても過言ではないだろうと思う。背負えるようになる為に生きている。後輩達は厄介ゴトを持ってくるし、お礼も言わない。その厄介ゴトから逃げるのも自由。その中で、どうするか。ループ・・・・・・・・
背負えるまで、何度もループ。逃げた所で、またやってくる。背負える能力があるなら、背負った方がイイ。覚悟を決めて、受け入れるコト。それって、自分で決めてきた事。そんな気がしてならない。今日はそんな結論で、締めましょう
背負い込むは、厄介ゴト。それは恩返しであり、自分で決めてきた、一つのゴール。覚悟を決めて、受け入れましょう
そうか。生まれる前から決めていたとか、ずいぶんな答えになっちゃったね。でも、そんな気がする。自分で、決めてきた。だからこそ、そこから逃げちゃイケない気がする。もちろん背負えないのに、背負うのも間違い。背負えるようになった厄介ゴトを、背負い込みましょうってコトですね。では明日
明日は『範囲』というタイトルで、面白いとつまらないについて、考えます。お楽しみに!!