現代に知っておきたい事

あまえ

甘えという人の行為の裏側には、何があるのだろ?

哲学・思想

<甘えは、安心。人間には必要な絶対的要素。お互い様なので、遠慮せず甘えよう>

甘えというのは、不思議なモノ。多くは、否定的な意味で使われる。でも、そればかりではない。甘えられる方も、嫌々ながらそれを楽しんでいるフシがある。一体甘えとは何なのだろう。人間性・・・・・・

甘えというのが、人間性と密接に関わっているようにも思う。そこにどんな関係性があるのか。そのメカニズムは何のなのか。それを突き止めてみたい。効果・・・・・・・・

まず甘えが作り出す効果から、考えてみる。甘える側は、自分の欲求を元に、甘えている。なので、分かり易い。生きていくのに、ヒトのチカラを借りているという事。それだけなので、分かり易い。甘えられる側・・・・・・・・・・・

では、甘えられる側はどうだろう。甘えられると言うコトは、必要とされているという事。自分が必要とされているコトに、喜びを感じられる。存在理由になる。それで嫌々ながら、うれしい気持ちになれる。孤独・・・・・・・・・・

甘えられる時に、孤独を癒せる。孤独ではないと感じるコトが、出来る。それで嬉しい。更に自分の存在理由。自分が要らない存在だと思うと、生きているのが辛い。それも解消してくれる。相互・・・・・・

甘えというのは、相互にメリットがある。面倒臭い部分もあるが、それ以上に得られるモノも大きい。それが人間性にも、深く関わっているのではないかと、そんな予感がする。繋がり・・・・・・・・

甘えというものから、感じるのが繋がり。孤独で無くなり、存在理由が確保される。それは繋がっているから。繋がっているというのは、何なのだろう。人間性と、どう関係するのか。更に明確にしていく。カバー・・・・・・・・・

カバーであり、バックアップ。繋がりというのは、カバーでありバックアップ。それは安心の要素。繋がるほどに、安心は増す。同時に、面倒臭い事も増える。面倒臭い事も増えるが、安心は増す。どっち・・・・・・

どっちをとるべきか。世の中が発展するにつれ、人と繋がらなくても、生きられるようになってきた。でもそれだけに、カバーやバックアップは弱くなっている。孤独死というのも、それを象徴しているのかもしれない。現代・・・・・・・

現代に必要なのは、甘えかもしれない。現代は、甘えが少なくなり、安心感も不足している。情報だけで足りる事もあるが、それだけでは繋がりは弱い。同時に安心も弱くなる。犬猫・・・・・・・

ヒトとの繋がりではなく、犬猫との繋がっている現代。人に代わって、犬猫が癒してくれる。その状況は、悪いとは言わないけど、何で人ではなく犬猫なのか。それにも理由があるように思う。遠慮・・・・・

おそらく遠慮がある。面倒くささと同時に、遠慮がある。みんな忙しいので、自分の為に時間を使わせてはいけないと、思ってしまう。自分が煩わしいと感じているので、相手にその想いをさせたくない。迷惑・・・・・・・・

自分の存在が、迷惑と感じている。繋がるコトも、迷惑な行為。そう思ってしまう。それも孤独死に繋がっているのではないか。そう思う。遠慮しすぎが、更に自分の存在を否定している結果に、導いてしまう。不慣れ・・・・・・

甘えるコトに、不慣れになっているのかもしれない。一度その流れがつくと、より迷惑をかけられなくなる。繋がりは更に、希薄になっていくという、スパイラルに陥る。これでは安心はえられない。さて、こんな現代に、必要なキーは何だろう。お互い様・・・・・・・・・・

現代に一番必要なのは、”お互い様”と言う考えかもしれない。甘えっぱなしではなく、甘え合い。一方的に甘えるのではなく、双方が甘える。それはお互い様で、遠慮するコトではない。その考えが必要かもしれない。財産・・・・・・・・・

甘え合い、繋がりが出来るのは、人間の財産。それで安心を得られる。それで人間と言える。甘えを捨てたら、人間から遠ざかり、ただの物となってしまう。人間である以上、甘えなければイケナイ。遠慮はダメ。お互い様だから。がんばり過ぎはダメっていうのを、今日の結論として、締めます

甘えは、安心。人間には必要な絶対的要素。お互い様なので、遠慮せず甘えよう

ぐわ〜!そうなんだ。甘えにそんな意味があったなんて。しかも現代に一番足りないのが、甘えだったなんて。お互い様って言うのも、必要なんだね。それを現代は、確かに無くしてたかもしれない。安心感や、カバー、バックアップ。弱くなったこれらの要素を、復活させたいものです!はい。明日!!

明日は『不充分』というタイトルで、人の能力を最大限活かせるモノについて考えます。お楽しみに!!

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