分かっているつもりの、落とし穴とは?
<不慣れは、当事者。僅かな可能性だが、当事者になりうる。その事を、片隅に置いておきたい>
分かっているつもりでも、実は不慣れなモノ。現代は、情報社会。沢山の情報が流れてくる。自分とは、まるで関わりのない地域の情報も、毎日触れている。その中で・・・・・・・
その中での、意外な落とし穴。それを今回は、探って行きたい。情報は、沢山手に入る。手に入るので、知ってはいる。知っているから、それなりに対応出来ると思ってしまう。不慣れ・・・・・・
対応出来ると思ってしまうが、実は不慣れ。情報があるから、自分の頭の中では成立している。でもそれは、仮想現実の世界。現実世界ではない。自転車・・・・・・・
例えば、自転車に乗れるようになった時。最初自転車に乗れるまで、相当時間がかかったのと似ている。頭の中では簡単に乗れそうでも、実際乗ってみるとそうは行かない。かなりの時間、悪戦苦闘する事になる。大違い・・・・・・・・
見るのと実際やるのは、大違い。同じように、知るのと実際やるのでは大違い。いろんな事を知ってはいる。でも、それは知っているだけ。出来るワケではない。実際・・・・・・・
そして、実際その場に立つと、戸惑う。ニュースなどではよく見る光景でも、自分がその立場に立つと、まるで状況は違ってくる。自分には起こらない事だと思い込んでいる。一線・・・・・・・
情報と実生活に、引かれた一線。その一線は越えないモノと、信じ込んでいる。他人事だと、思い込んでいる。でも、実際に起きているコト。自分に起こらないという保障はない。それで実際に起きた場合、戸惑ってしまう。片隅・・・・・・・・
それほど、ビビる必要は無いが、片隅には置いておきたい。全くの他人事ではなく、自分にも起きる事かもと、思っておきたい。絶対に戸惑うという事も、知っておきたい。なぜなら不慣れだから。第三者・・・・・・・
情報を受け取る側は、第三者。そのポジションは変わらない。情報社会において、第三者である事が大半であるのも事実。でも、絶対第三者とは限らない。当事者・・・・・・・・・
ほんの僅かな可能性で、当事者になりうる。不慣れな当事者になりうる。入ってくる情報は、その不慣れな当事者達の姿。まさか自分には起こらないだろうという、まさかが起きた人々の姿。自分・・・・・・
それは未来の自分かもしれない。その時、戸惑っている不慣れな自分は、どうなってしまうのか。よくある光景が次々に展開されるかもしれない。カメラ・・・・・・・
場合によっては、カメラを持った人達が、凄い勢いで集まってくるかもしれない。それを警察や消防の人が、止めているかもしれない。テレビでよく見る光景。違うのは、対象が自分だと言う事。可能性・・・・・・
滅多にないだろうが、可能性が全く無いとは言い切れない。その時、どうするべきか。おそらくは当事者は、立ち尽くすだけ。とすれば周りの人間が、どうするべきか指示。当事者が動ける環境作りが必要かもしれない。代わりに・・・・・・・・
当事者の代わりに、どうするべきかを考えてあげる。それがするべき事かもしれない。当事者というのは、現実を受け止めるだけで精一杯で、それ以上は何も考えられない。ならば、代わりに考えてあげるというのは、有効だと思う。情報社会・・・・・・・・
情報社会だけに、そんな落とし穴がある。それは現実に起こりうる事。避けて通っているが、本当は片隅に置いておかないとイケない事実。ただあまりにも多いので、本当に片隅で良い。それを今日の結論として、締めます
不慣れは、当事者。僅かな可能性だが、当事者になりうる。その事を、片隅に置いておきたい
そうか、情報は沢山あるけど、第三者的に受け止めているだけだからね。まさか当事者になるなんて、誰も思ってない。それって事実だよね。でも、その可能性もあるので、片隅に置いておきましょう。また、戸惑っている当事者の代わりに、チカラを貸しましょうって事ですね。今日もわたくし事ですが、面白い内容でした。では明日
明日は『ダンス』というタイトルで、社会現象について考えます。お楽しみに!!