えすかれーしょん

さいごのようぎしゃ

犯人は誰?

哲学・思想

<最後の容疑者は、逃げ。自分が悪くないと思う気持ちは、事実も歪める。そんな、人の世の中>

原因を作った犯人は誰だろう。物事にはいろんな問題が起きる。その時、そこには犯人が居る。犯人が居るとして、最後の容疑者だけは決まっている。最後の容疑者というのは、一番犯人から遠い人物。自分・・・・・・・・

誰も、自分を犯人とは思いたくない。その思いは、自分を最後の容疑者とする。これは、犯人から一番遠い存在。どの人でもとる行動。自分じゃない。そう思いたい。そういう行動をとるというのを、前提としたい。犯人・・・・・・

実はこれは犯罪者でも同じ。犯罪者であっても、自分が犯人だと思いたくはない。犯罪をやっておきながら、どうしてと思うがそれが人というモノ。出来れば逃げてしまいたい。そんな風に出来ている。逃げ・・・・・・・

逃げたいのだからしょうがない。逃げれば、通常通り生活が出来る。昨日と同じように、今日も過ごせる。それを望んでいる。ただ、それだけでは無い。悪い側・・・・・・・

ほとんどの人は、自分が悪い側にまわるコトに慣れていない。まさか、自分が悪い側にまわるなんて、思っていない。その戸惑いも考えないとイケナイ。キレイなままで居たいと、誰でも思う。正義の側だと、誰もが思いたい。その中にいる。事実・・・・・・・・

事実というのは、残酷。残酷であっても、受け入れなければイケナイ。それが出来るかどうかが、その人の成長度合いをあらわす。成長度合いは年齢ではなく、覚悟や決意で決まる。その覚悟がなければ、年配でも事実を認めたがらない。歪める・・・・・・

事実を認めたがらない人は、事実を歪める。それもよくある行為。自分の身を守る為に、事実の方を歪める。それが許されるような、ぬるま湯の中に居た人は、よくそれをやる。年齢ではない。あくまで決意があるかどうか。バラバラ・・・・・・・

成長過程は、人によってバラバラ。年配の人でも、自分を最後の容疑者にしてしまう人は、沢山居る。事実を歪めてしまう人は沢山居る。それはしょうがない。そういうモノだと思って、人と接する必要がある。って言うのを今日の結論として締めます

最後の容疑者は、逃げ。自分が悪くないと思う気持ちは、事実も歪める。そんな、人の世の中

そうか、確かにそんな人の世の中なのかもね。それを踏まえて、事実はどうか。あくまで事実を歪めないように。成長してても、最後の容疑者になりたい気持ちは誰でもある。油断すると、その気持ちは出て来てしまう。事実はどうか、それだけを確認。間違えないように。ってコトで、明日に〜

明日は『まわり道』というタイトルで、分かれ道について考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん