えすかれーしょん

ばかにする

なぜバカにするのか?

哲学・思想

<バカにするは、鍛錬。あらゆる可能性を、遺伝子は見守りながら、我々に託している。どうやら、託されているらしい>

バカにするというシステムは、なぜ必要なのか。バカにすると言うのは、知的な要素を蔑む行為。野生動物の世界でも、オス同志の力比べがあるが、それと同じモノだろうか。人だから、知で比べるのだろうか。野生動物・・・・・・・

草食にしろ、肉食にしろ、野生動物はチカラを比べる。それは、成長過程において必要なコトであり、生き残る為にも必要なこと。チカラの強いモノが生き残るコトが出来る。捕食者に負けないことが、生き残るコト。鍛錬・・・・・

チカラを比べるというのは、鍛錬でもあるのだろう。闘うコトを普段から意識すれば、その場に出くわした時、対応が出来る。筋肉も鍛えられ、骨も鍛えられる。より強靱になるほどに、リスクは小さくなる。人間は・・・・

では人間はどうだろうか。人間も、肉体的な強靱さが、意味を持たないということはない。それなりに、体を鍛えるし、戦いもある。ただ人間の場合、敵になるのは人間。他の動物には、道具を使って優位に立っている。死ぬ・・・・・・・

人が、その気になれば、動物に襲われて死ぬコトはない。油断をしたり、道具がなければ、勿論死ぬけれど。人はもう、動物を凌駕している。武器を使えば、一瞬で対象を殺すコトが出来る。人は腕力より、強い武器を手に入れてしまった。一番強い・・・・・

一番強い武器が、腕力ではなくなってしまった。体の大きさでも、キバでもない。道具の特性を知り尽くし、それを上手に利用する。そうすれば、リスク無く相手を撃退するコトも出来る。知り尽くして利用するコトが、最強の武器。その流れ・・・・・・

その流れで、バカにする行為もあるのだろう。知がチカラを持っている。その中で、動物が力比べをするように、持っている知を誇りたがる。自分がどれだけ優れているかを、相手をバカにすることによって、示そうとする。すり替わり・・・・・・

チカラが知にすり替わっただけで、やっているコトは同じ。動物の力比べと変わらない。やはり生き残る為だったり、鍛錬の意味合いもあるのかもしれない。バカにし合うことで、知を比べている。そう考えてイイ。適切・・・・・

バカにし合うと言う事は、適切な鍛錬方法だろうか。力比べであれば、筋肉や骨、気持ちなども強靱にすることが出来るが、バカにし合いで出来る事はなんだろう。何が鍛錬されるだろう。よく考えると、効果的かは疑わしい。自己満足・・・・・・

相手をバカにすると言うのは、自己満足に過ぎない。客観的な結果を出す為のモノではない。あくまで、自分でそう思って、満足しているだけ。自己を慰めているだけとも言える。すると、やり方としてはやはり不適切なのか。何も鍛錬されていないのだろうか。ハードル・・・・・・

バカにすると言うのは、自分のハードルを上げること。ハードルが上がると、自分が引っかかるリスクが高まる。ハードルに引っかかると、とても恥ずかしい。その恥ずかしい思いをしたくないので、必死でやる。とするなら、ある程度効果は得られる。自分・・・・・・

結局相手をバカにする行為は、自分のハードルを上げるコトにすぎない。とするならば、自分だけでそれをすれば、良いように思う。なぜヒトを巻き込むのか。どうして他の人をバカにするという事を、しなければならないのか。バカにされた側・・・・・・

バカにされた側は、どう思うだろう。正直とても不愉快な気分になる。そして見返してやろうと思う。それで努力をする。気持ちに火がつく状態になる。おや?バカにされた方も、それなりにやる気になっている。とするならば、バカにすると言うのは、効果的なやり方なのか。遺伝子・・・・・・・

バカにし合うというのを、遺伝子が引き起こさせているのだろうか。人間は、バカにし合うことで、より知を得やすくなっているのだろうか。とすると、バカにするのは本人の意識ではなく、本能。遺伝子の仕業。と言うか仕掛け。操られて・・・・・

遺伝子に操られて、バカにし合っているのかもしれない。遺伝子に組み込まれた、プログラム。バカにされてイヤな思いをするコトも、内包した上で、そんなプログラムが組み込まれているのだろうか。そこまでチカラを求めているのか。遺伝子とは・・・・・・・

遺伝子とは一体何なのだろう。太古の生物から引き継がれてきた、生き残る為の智慧。それが遺伝子。その遺伝子がやっているコトは、まともじゃない。そうとも思わせる。バカにし合いや、小競り合いやむなしで、プログラミングされているのか。未来・・・・・・

これから未来も、それは続いていくのだろうか。より、優れたモノを生み出す為に。いや、おそらくそれだけでは無い。優劣というのは、重要なテーマではあるが、一つの断片に過ぎない。見えていないモノがある。見えていない仕掛けがあるような気がする。生き残り・・・・・・・

本当の生き残りは、見えていない仕掛けも、大きく影響している。チカラによる生存もあるが、協力による生存もあるハズ。そうでなければ、これほどの社会は成り立たない。協力と優劣。矛盾するような、二つの仕掛けが作用して、生き残っていける。狭間・・・・・・・・・

二つの仕掛けの狭間で、ヒトは生きている。両極の衝動があり、その間で人は悩みながら生きていく。そうなっているのかもしれない。二つの矛盾する遺伝子のプログラム。遺伝子は、操り人形にする仕組みではないのかもしれない。自主性・・・・・・・

あくまで、自主性はその人にある。遺伝子の操り人形ではない。その人が、その中で迷いながら、苦しみながら、選ぶしかない。時には、やり過ぎたり、間違ったり。そんなマイナスも許容する。とすると、責任は遺伝子ではなく、自分。迷うから・・・・・・

迷うから、自分に自主性がある。迷えるという事は、自由である証拠。ど
っちに行っても良い。正解はない。その時その時で、行動してその結果を受け入れる。操り人形ではなく、その時代を任せられたモノの生き様。手助け・・・・・・

遺伝子は、敵対を目的とはせず、生き残るコトの手助けをしているだけ。あらゆる可能性を残しながら、見守ってくれているだけ。そう考えれば納得いく。我々は任されている。そして託されている。決して甘くはないが、ちゃんと見守られている。それを、今日の結論として締めます

バカにするは、鍛錬。あらゆる可能性を、遺伝子は見守りながら、我々に託している。どうやら、託されているらしい

そうか、遺伝子は託してるんだ。そんな事考えてなかったけど、迷うってコトも当然のコトなんだね。その上でどう生きるか。まるで決まってないから、ぶつかりながら、失敗しながら生きていかないといけないってコトですね。なるほどなるほど。それじゃ明日でございます

明日は『歪める』というタイトルで、チカラについて考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん