学は本当に歪んでいるのか?
<学は、苗床。分野が確立するまで、存在して良いモノ。期限付きなら、必要>
24日のこのブログで、学と術について述べた。徹底的に学を否定する内容になったが、最後の方で少しその方向性に、不安を感じたので改めて考えてみる。学について。目的が曖昧・・・・・・
24日には、学は目的が曖昧で、それゆえに歪んだと述べた。それについては、訂正する気はない。でも、その曖昧さは、マイナスしか生まないのだろうか?そこで引っかかっている。幅・・・・・・・・
曖昧さがあるという事は、許容する幅がある。そんな効果もある気がしている。曖昧なので、すぐに結果を求めない。多少外れても、それを許容する幅がある。もしもそうなら、それは良いコトなのではないかと。猶予・・・・・・・
すぐに結果が出なくても、猶予がある。猶予があるので、遊べる。この遊べるというのが、学においての広がりになっている。そうは言えないだろうか。学というのは、権威に使われる。これと遊びの結びつきで起こる、化学反応。付ける・・・・・
どんな研究でも、学を付ければそれなりに格好がつく。他のヒトから見れば、取るに足らないコト。他のヒトが評価出来ないコトでも、学がつけば格好がつく。それは多様性に結びつくような気がする。いろんな方向を、育てる効果があるのかもしれない。可能性・・・・・・
可能性を育てる効果。可能性を、否定しない効果。術というのは、中身があってより磨き上げるモノだが、それだけに結果を欲しがる。結果がすぐ出ないモノには、否定されてしまう。しかも権威ではない。結果が出なければ、格好もつかない。滅びる・・・・・・・
術であれば、滅びてしまうモノもあるかもしれない。学という、曖昧で格好がつく中でないと、滅んでしまう、か弱い分野もあるかもしれない。そう考えると、学というモノの存在を、全否定するべきではないようにも思う。起点・・・・・・
起点は弱い。物事の最初は、とても弱々しい。それが徐々に太く育っていくのだけれど、最初は貧弱。その貧弱な時に、権威として存在出来る。そうなれば、生き残りの確率は高くなる。学にはそういう効果もある。広がり・・・・・・・
学の広がり。その多様性は、学ならではの曖昧さに支えられているのかもしれない。少なくとも、起点に関しては、とても効果的と言える。そのあと、分野として確立したその時、そこからおかしくなる。中身・・・・・・・
分野として確立してもなお、権威として存在する。それで、中身が薄くなったり、終わりを作ってしまう危険性も、出て来てしまう。そこは難しい所。権威がないと、滅びる可能性が増すし、いつまでも浸かってしまうと、中身が歪む。線引き・・・・・・・・
どの段階で、線引きをすればいいのか。分野が確立した瞬間から、歪み出すのだと思う。つまりは、賛同者がある程度集まってから、歪む。とすると、その段階で権威を外すべきかもしれない。学は最初だけに留める。引き継ぐ・・・・・
学を引き継いで、そのあとは研究や術に。研究や術ならば、まだ先がある。学のように、やったら終わりではない。ひけらかすモノでも無い。ただ、淡々と行うモノ。そして、磨き上げていくモノ。研究や術は、中身が全て。移行・・・・・・・
学からの移行。学は存在しても良いが、どれだけスムーズに次の段階に移行出来るか。それに掛かっている。いつまでも、権威の学に留まるべきではない。学は分野が確立するまで。いつまでも学に腰かけてはイケナイ。甘え・・・・・・
学は甘えの象徴。いつまでも腰かけては、骨抜きになる。学に腰かけるのは楽だからこそ、そこに腰かけ続けるべきではない。学に腰かけて良いのは、最初だけ。学は苗床。厳しい世界・・・・・・
分野として確立したら、より厳しい世界へ。苗床としての学は、役に立つ。その存在意義は大きい。でも、その段階を越えても腰かけ続ければ、歪んで行くだけ。見せびらかすような、みっともない存在に成り下がるだけ。役割・・・・・
学は学の役割がある。その役割は尊く、失いたくない。でも、その役割から少しでも外れると、途端に歪み出す。あくまで苗床。最初の段階を育てるだけに留めるべき。それを今日の結論としましょう。締めます
学は、苗床。分野が確立するまで、存在して良いモノ。期限付きなら、必要
そうか、学って期限付きだと存在して良いのか。なるほどね。そこが引っかかってた所なんだな。いやいや、今日もスッキリしましたよ。そんな役割分担があるとはね。意外でしたね。ハイそれじゃ明日ですよ
明日は『スイッチ』というタイトルで、現代人の潜在能力について考えます。お楽しみに!!