自分の考えが、ガラリと変わる瞬間は?
<瓦解は、自分。固定した無責任な考えが壊れて、成長する。見えていた世界は、本物ではなかったと分かる>
絵本の登場人物は、固定した役があり、そこから外れるコトはない。固定したキャラクターであるからこそ、話は成立する。もしも固定されたキャラクターと違う行動をとるならば、混乱を生む。なぜ、キャラクターは固定されるのか。理解・・・・・
子供が理解出来るように。幼ければ、人物の一面しか見られない。多面性は、理解するコトが出来無い。それで、固定された一面だけのキャラクターになる。それで安心して、絵本などは読み進められる。絵本は、子供の理解度に合わせた仕様。自分・・・・・・
自分も固定化されたキャラクターとして、認識される。ただ、そのキャラクターを、ハミ出す部分も出てくる。自分は、一面だけのキャラクターにはなれない。求められても、一面だけでは少なすぎる。そこで、ひとつ矛盾が生じる。他人・・・・・・・
他人は、自分を簡単なキャラクターとして見ようとする。型にはめようとする。それはとても窮屈なことで、嫌なコト。なぜ他人は、自分を簡単な型にはめるのか。窮屈さに、苛立つ時期がある。その時期の苦しみが続き、他人ばかりラクをしていると嘆く。同じように・・・・・・・
苦しんでいる自分と、同じように苦しんでいる人を見つける。そこで、苦しんでいるのは自分だけではないのかもと、思うようになる。実際同じように苦しんでいる人が居る。他人も同じ苦しみの中に。犯人・・・・・・・
自分や他人を苦しめている犯人は、自分の中にも。自分も、固定した一面を求め、人を苦しめている。犯人は自分。その結論に辿り着けた時、この罠から抜け出せる。子供から抜け出すコトが出来る。瓦解・・・・・・
大人というのは、子供が理解出来る枠が瓦解した存在。分かりやすさだけ求めて、本質を見ていなかった自分に、気づいた瞬間の出来事。瓦解は一瞬。無責任な犯人捜し。そして、犯人が自分だったと分かって、無責任の時代は終わる。そういうヒト・・・・・
無責任に、そういうヒトと処理出来るのは、子供。そういうヒトなど、いない。そういうヒトにしてしまっているだけ。無責任に、一面だけ見て、それを押しつけている。ラクをしている。理由・・・・・
それが、生きている理由なのかなとも思う。その罠に気づく為に、長々と生きている。子供と大人と書いたが、正直年齢じゃない。若かろうが、歳を取ろうが一面だけを求める人は居る。人生は長い。いつ気づいても良い、カリキュラム。絵本・・・・
平面的な絵本の世界から、立体的な現実の世界へ。自分を基準に、回り回って理解出来る範囲を、立体的に広げていく作業。それぞれの速度で、それぞれのやり方で。サポート・・・・・
立体的に見られるようになると、サポート出来る。一面だけを見るのは、ラクをして処理する無責任な行為。無責任では、サポートは出来ない。自分のコトとして、相手を尊重してサポートする事が出来る。脇役・・・・・・・・・
脇役として、サポート出来るようになる。子供の頃は、自分はいつも主役。主役以外は理解出来ない。それが、脇役としてシッカリと務めを果たせるようになる。それが出来ると、生きてきた中で沢山の脇役が居たコトを知る。見えなかったモノ・・・・・
見えなかったモノが見えてくる。見ようともしていなかった世界。実際には存在していたのに、ラクをして見もしなかったヒト達。自分が脇にまわるコトで、その存在がおぼろげながら見えてくる。自分は、そんな先輩達に支えられていたと。まばら・・・・・・
世の中には、まばらに沢山の先輩と後輩が、存在してる。年齢は関係ない。そんな構造の中で、生きている。どこにも見本がいて、そして自分の存在も模範になりうる。その多層で多重な構造。それが人の世界。成長・・・・
決まり切っていない、成長の過程。決まり切っていないと言うコトは、主体はあくまで自分という事。自分がどう感じ、どんな答えを出すのか。それは自分次第という事でしょうね。それを今日の結論として、締めます
瓦解は、自分。固定した無責任な考えが壊れて、成長する。見えていた世界は、本物ではなかったと分かる
そうだよね。本物なんだけど、見ようとしていない部分が、沢山存在してた。いっぱい経験しないと、ホントの事理解出来きないね。道の途中は、結構長い。自分が歩いて、苦しんで辿りつかないと意味がない、そんなシステムって事みたいです。ウンウン。それじゃ明日ね
明日は、『偽装』ってタイトルで、温度差について考えます。お楽しみに!!