えすかれーしょん

ぜいたく

いろんな国のヒトが居るのは、プラスか?マイナスか?

哲学・思想

<贅沢は、盛ん。いろんな国のヒトを、歓迎。いろんな文化を、利用して豊かに。ポイントはビビリ過ぎない事>

国が違う。出身国が違う。そのヒトたちが、同じ国で暮らす時何が起こるだろう。マイナスだろうか。プラスの事だろうか。言葉・・・・・・

国が違うと、大概の場合言葉が違う。言葉が通じないというのは、意思疎通の面で不便である。その点においては、明らかにマイナスと言える。文化・・・・・

国が違えば、文化が違う。文化の違いというのは、形や方式の違い。これが違うと取っつきにくい部分もある反面、自分の国では思いつかなかった発想の、発展形を見るコトが出来る。その恩恵にあずかる事が出来る。文化の面で言うと、プラマイでプラスと言える。智慧・・・・

文化というのは、生活の知恵。いろんな国のヒトが居るというのは、いろんな智慧を持っているという事。いろんな智慧を、形として見る事が出来る。とするならば、いろんな国のヒトがいるコトは、とても贅沢だと言える。拒絶・・・・

せっかくの智慧があっても、拒絶すれば得られない。どんなに素晴らしいモノがあっても、拒絶すれば得られない。その恩恵を得られない。目の前の宝を、見過ごすようなモノ。アリ・・・

恩恵を得ないという選択もアリ。人間関係は面倒なので、やらなくてもイイ。ただ、邪魔はしない方がイイ。自分が気に入らないからと言って、排除しようとするのは迷惑。単一・・・・・

単一文化の場合は、楽であるという面はある。同じような考えで、進めるコトが出来る。これはとても楽で、戸惑いもない。今まで培ってきたモノが、良い意味でも悪い意味でも破壊される事はない。破壊されないというのを、どう捉えるか。行き交い・・・・・・

交易が盛んな地域と、無い地域では発展の仕方が違う。交易が盛んな地域は、いろんなモノが行き交う。それぞれの文化が差となり、差は価値になる。交易が盛んなところは、沢山の価値が生まれる。そこでは、守るべき文化とは別の動きがある。利用・・・・・

違う文化を価値として利用している。守るべき文化とは別に、いろんな文化を利用している。文化の行き交いというのは、侵略ではない。あくまで利用するモノ。破壊されるかと思っていたが、そうではない。選ぶ・・・・・・・

文化を選ぶだけ。いろんな良いモノがあって、選ぶだけ。選べるというのは、主体性はその生活者にある。侵略や破壊は、主体性が侵略者にあるが、文化の場合主体性はどこまで行っても、生活者。沢山ある中から、選べば良いだけ。贅沢・・・・・

沢山ある中から選べるのだから、それは贅沢だろう。いろんな国のヒトが居るというのは、贅沢だと言える。交易は理解して行っているワケではない。差が価値になり、そのやり取りをしているだけ。とすると、他国の文化を理解する必要は無い。面白がる・・・・・・

理解しないで、それを面白がればいい。いろんな違いを、面白がって利用すればいい。勿論利用しないのも自由。主体性は、生活者。守りたければ守ればいいし、変えたければ変えればいい。ビビリ・・・・・

いろんな国のヒトがいるコトをビビリ過ぎない。実質的に、守りたいのであれば、自分で守ればいい。他のヒトは関係ない。守りたい人が守ればいい。その国のヒトらしく・・・・・・

交易が盛んな地域のように、いろんな国のヒトが居て、その国のヒトらしく生活出来るのが一番良い。もちろん、迷惑がかかるような事は、慎む。それ以外は、その国らしく。自国の方式を他の国のヒトに、披露する。その評価は、相手に任せる。勝手・・・・・

良いか悪いか評価するのは、相手の勝手。同時に自分の勝手。みんな勝手にやって良い。迷惑かけなければ、勝手にやって良い。それが文化の交流。理解も要らない。利用すれば良いだけ。利用して貰えば良いだけ。それが贅沢で豊かな生活。干渉・・・・

干渉するモノではなく、利用するモノ。楽しんで、面白がって、不思議がって、感心して。いろんな国のヒトがいるコトは、贅沢で幸せなコト。そう思えるようにしたいって言うのを、今日の結論としましょう。締めます

贅沢は、盛ん。いろんな国のヒトを、歓迎。いろんな文化を、利用して豊かに。ポイントはビビリ過ぎない事


そうか、排除する人ってビビリ過ぎなんだよね。そんな質のモノじゃないから、ビビらなくていい。お互いに勝手にやる。干渉しなくても、良いワケだし。らしく生きれば良いってコトですね。納得です。ハイ。では明日

明日は『瓦解』ってタイトルで、ヒトを見る目について考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん