喩え話はどうして存在する?
<喩え話は、導きの地図。自由すぎて迷ってしまう中で、理解を助け、うまく行く道を教えてくれる。ありがたい知恵>
もしも喩え話が存在しなかったら。どう困るだろうか。喩えるとはなんだろう。それを探ってみる。なぜそのままではなく、別のモノに喩えるのだろうか。そのままではマズイ理由があるのだろうか。どういう時に喩えるか、そこから考えてみる
宇宙で起きているコト。宇宙ではいろんな事が起きている。でもその一つひとつは、あまりに大きすぎて、理解するのが難しい。その時に、別のモノに喩える。別の身近なモノ。身近なモノなので、理解がしやすくなる。どんなに大きなモノでも、喩える事で理解が出来るようになる
とすると、人はどんなモノでもそのまま理解出来るワケではない。あまりに大きいモノや、捉えにくいモノは理解出来ない。案外理解出来ないモノというのは、沢山あるという事。なので、喩えというのも沢山使われ、とても重宝する存在と言える
喩えを使う時のもう一つの理由に、似ているという事がある。まるで違うモノでも、輪郭が似ているモノ。その時喩えが使える。まるで違うが、そのモノをイメージしながら扱うと、うまくいく。モノの輪郭が似ているので、イメージに沿っていけば誰でもうまくなる。いわゆるコツというヤツ。それを知っているかどうかで、効率や出来映えは全く違ってしまう
何かをする時に、輪郭の似ているモノを探し当てられるかどうか。それが出来るか出来ないかの差は大きい。これは経験則。何度も挑戦して失敗して、そのうちに辿り着ける境地。その境地である経験則は、知恵とも言える。的確な喩え話は、知恵の別名と言ってもイイ
喩え話はテクニックであり、イメージの世界。イメージはフワフワ揺れいる。それはいくらでも膨らませる事が出来る、自由空間。自由すぎるとも言える。その自由すぎるイメージの世界に、秩序を作る。つまりはシッカリした足場を作って、迷わないようにする。自由すぎると、迷ってしまう。迷わない為に、喩え話で道を作っていく
喩え話の道通りにいけば、理解出来るし、うまく行く。喩え話は、自由すぎるイメージの世界で、迷わないようにしてくれる、導きの地図。導きの地図だというのを、今日の結論にして締めましょう。はい
喩え話は、導きの地図。自由すぎて迷ってしまう中で、理解を助け、うまく行く道を教えてくれる。ありがたい知恵
そうか、喩え話ってありがたい知恵なんだね。良い喩え話には、もっと感謝しないとな。いろんな事に喩え話があるから、何でだろうって思ってたけど、納得だね。理解しやすく、しかも迷わないようにだから、とてもやさしい存在とも言えるね。はい。それじゃ今日はこれまで。明日です
明日は『垣根』というタイトルで、ネットと実生活について考えます。お楽しみに!!