えすかれーしょん

じぐそー

哲学・思想

じぐそー

というタイトルで、問題解決の道のりについて、考えます

パーツ

パーツが全て埋まって、問題は解決する。まるでジグソーパズル

パーツが何も揃っていなければ、問題は解決しない。その問題がなんなのかも、見当すら付かない

問題を解く為には、パーツが必要になる

自分が全てのパーツを用意する必要は無い。他のヒトが持っているパーツでも良い

つまり持ち寄り

それぞれが持ち寄って、問題のジグソーのパーツを埋めていく

この時、自分の持っているジグソーのパーツと同じパーツは、さほどの価値は無い

自分が持っていないパーツを持っているヒトは、価値がある

それを持ち寄って、パーツを埋めれば問題解決に近づいていく

その筈だけど、ジツはそんなに簡単じゃない

どちらかと言えば、自分と同じパーツを持っているヒトと、くっつきたがる

そして違うパーツの人とは、敵対する。そんな敵対的構図が、出来上がってしまう

そしてただの勢力争い、パワーゲームになって、それに終始してしまう

問題の解決は、置き去りにされて、お互いの考えの正しさを主張し合う

まるでモッタイナイ状況。埋まらないパーツのまま、争いあっている

それが現状、よくあるパターン

大人達のそんな争いを見て、子供たちはくだらないと思っている

おや?と思っている。それで、何十年かしてその子供が権限を持つようになった時、やっと解決

子供はどちらかではなく、冷静な眼で両方の良いとこ取りを出来る

良いとこ取りというのが、ジグソーのパーツ集め。対立を越え、良いパーツだけを持ってくる

それで、解決まで持っていける。そういう例は、少なくない

ただ、問題解決まで、何十年もかかる。それで良いのかもしれないが、モッタイナイ話

対立する双方の大人達が、ジグソーパズルの意識を持てば、下らない争いは避けらる筈

どのパーツを持っているかだけに意識を向ければ、どっちが正しいというような、短絡的な結果は求めない筈

有用な情報。有用な考え。それがジグソーのパーツ。それの持ち寄り

対立のパワーゲームは、片翼でしかない。本来は両翼で飛ぶモノ

持ち寄ったパーツでも、おそらくは足りない。足りないが、確実に近づく

対立構造ではなく、どのパーツを持ち寄るか。どれだけのパーツを持ってくるか

見るのはそれだけでイイような気がする。同じパーツはカブっているだけ

カブってると、進展はない。出来る限り違うパーツ。それが問題解決の近道。それで飛べるようになる

争わなくて良い相手と、争いすぎていたのではないか。そう思う

敵は問題であって、パワーゲームで相手をやり込めるコトではない

ジグソーのパーツを埋めるコト。それが、本来やるべき事なのではないかと思う

罵り合っている人達も、ジグソーパズルの意識で見れば、良いパーツを持っていたりする

やり込め合いは、生産性がない。パーツを持ち寄って埋めるコトが、一番生産的

そして、問題解決の近道。それは間違いないでしょう

うん。今日もいろいろ分かって、スッキリしました。ではこの辺で、締めましょうね

ジグソーは、道のり。パーツを持ち寄れば、早く解決。やり込め合いは無駄。でも、やっちゃうんだよね〜

そうそう、やっちゃうんだね〜、やり込め合い。馬鹿なんだよ〜。我々男の安っぽいプライドが引き起こす、罵り合いはさ。野良犬のケンカだよね。それを止めて、パーツ集めだけにしませんかって言う提案ね。今日のブログは。ハイそれじゃ明日です

明日は、『負荷』というタイトルで、成長させる存在について考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん