えすかれーしょん

りょうど

哲学・思想

りょうど

というタイトルで、友達について考えます

僻地

誰のモノでも無かった僻地。それが領土となった途端、イヤらしい人間の争いが始まる

ただ海に浮かぶ島。それだけのコト

国際法が出来て、領土にすれば領海と排他的水域が手に入る

そう分かって、領土となった。それ以前は、領土ではなく、ただの島

もしその島に辿りついたなら、どうだろう

周りは海。自分だけしか居ない。その不安

もしもその時、同じように人が流れ着いたらどうだろう。しかも言葉は通じなかったら

言葉は通じなくても、不安は解消される。おそらく良い友達になれると思う

お互いの不安が、お互いを友達にさせてくれる

友達は人だけではない。海鳥たちや、木々などとも友達になれるかもしれない

海に浮かぶただの島。その不安の中では、国籍や言葉など関係ない

お互いが協力して、その不安を消していくだけ

不安が友情を育んでくれる。孤独が、人を繋げてくれる

そうやって、育まれた友情も国際法は引き千切るだろう

領土は、引き千切っていくだろう

取ったモン勝ち。損得争い。その中で、我が国の領土と声高に主張する

我が国の領土と、ヒステリックに叫び続ける

その声の中では、友情など育まれない。孤独ではないが、心もない

欲望を隠しながら、あたかも自分が正しいと、主張し合う

そんないやらしい人間の姿が、そこにあるね

僻地の島での不安や孤独は、感覚。自分よりも大きな存在の中で、感じる

だから仲間が欲しい。味方が欲しい。友達が欲しい

かたや領土は、所有物。手の平の上にあるモノ。地図の上に、自国の旗を立てる

自分よりも小さな存在。そして往々にして、情報だけ

その場に行った事もない人間が、自分のモノだと主張している

ずいぶん偉くなって、ふんぞり返っているのが、領土を主張する者

人は、そんなに大きな存在なのだろうか。それは果たして人だろうか

実際にその島で孤独を感じている方が、人だと思う

孤独と不安は感じるモノ。その場にいない人は、それを感じるコトはない

その場にいて、感じる。それこそ人。人の存在

でも、地図だけ見て領土を主張するのは、情報。情報は、幻想でしかない

実感を伴わない。感覚を伴わない。ただの幻想

領土問題は、幻想の中での戦い。おそらくそれは人ではない

国や、共同体や、民衆というのは、人ではなく幻想

まるで、存在のように振る舞うが、実体はない。ありそうでない

みんなというのも、本物ではない。都合よく使われるモノ。そのまやかしが横行する

人の社会が大きくなるほど、まやかしが横行。幻想の中で生きている

その大掴みな仕組みの中で、人は孤独や不安を解消してる

身近な友達じゃなく、社会という幻想に頼って生きるようになっている

その幻想に依存して、それで不安や孤独は解消される

さてさて、それで良いのだろうか。そこまで依存出来るほどの、存在だろうか

今日のこのテーマは、今まで見えなかったモノを、見せてくれた

もしかすると、またその事を探って行くかもしれない

みんなとか、国家とか、よく使われる表現の正体。その幻想をどうして持つのか

とりあえず今日の所はここまでです

領土は、所有。大きくなりすぎたヒトの存在。不安や孤独を感じない、情報だけのまやかし。人はそれに動かされ、一喜一憂

そうだよね。動かされまくってるよね。勘弁して欲しいよ。ぬくもりを感じる付き合いで、友達になれた方が何倍も素晴らしいと思うけどね。鳥とも友達。孤独とか不安が人間とか、鳥とか関係なく友達にしてくれる。どうも分け過ぎてるね。そこら辺もポイントなのかな。それはまた今度

それじゃ明日は定休日。明後日をお楽しみに!!

-えすかれーしょん