よりごのみ
というタイトルで、カッコつけについて考えます
やりたくない
やりたくないという主張は、選り好みとされる。また、カッコつけとも言われる
この選り好みや、カッコつけについて考えてみる
まず、カッコつけについて。よく使われる言葉。使われる時は、基本的に否定
このカッコつけという表現は、どういうコトで使われるのだろう
この表現では、的確ではない。より的確な表現を考えてみたい
カッコつけという言葉を使う時は、選り好みをしている時が多い
おそらく、それを否定したい人は、本当はわがままを言うな!と言いたい
でも、わがままを言うなというのは、強すぎるのでカッコつけに代えているのだと思う
もう少し、補足しないといけない。選り好みに対して、わがままというのは直接的で、分かりやすい
さらに、そのわがままというのは、偉そうにするなという意味も含む
選り好み出来るのは、それなりの身分のというコト。そんな身分でもないのに、わがまま言うなというコト。
これだと、かなり直接的で分かりやすい。では、なんでそうなってしまうのか
人は誰でも、プライドがある。そのプライドが、選り好みをさせる
現代は情報に溢れている。誰でも情報では、トップクラスの物に触れるコトが出来る
頭というのは単純で、情報があると自分もそれに成れるような、気分にさせてくれる
世の中には、そんな人が沢山居る。それで、一つの所に沢山の人が集中
自然と、競争率が高くなるという仕組み。たとえ能力があったとしても、席がないコトが多い
席というのは、現実問題。その時にどうするか
諦めるというのも手だが、それでもやるというのも手
諦めて他の所に行けば、そこに根付いてしまう。それはそれで良い
でも、最初に求めていたモノにはなれない。さらには、徐々になりたいという気持ちもそがれていく
選り好みというのは、わがままかもしれない。世間知らずかもしれない
でもそれを通して、うまくいかないのもその人の生き様。その人の責任
いろいろあってイイように思う。わがままだ、カッコつけだ。いろいろ言われる。それでもやるのか
選り好みし続けるのか。それは自由。確かに安売りしては、それに浸かってしまう
さらには、選り好みした責任も、自分にかかってくる
それだけの能力が自分にあるのか?そこはいつもチェックされる
それに応えられるか。突きつけられるのは、そんな厳しさ
さて、ではどうするのが一番良いのか。それは意外に簡単
なんでもする。どんなコトでもする。それは安売りとも言える
安売りしていく。そこに浸かった中で、それでも輝いていく。チカラを見せつける
勿論チカラを見せられる場でないといけない。方向性は、正しくないといけない
方向性を正しく。その上で安売り。そしてその中でチカラを見せていく
方向性が正しいのなら、なんでもやる。そこでは選り好みしない
全てがチャンス。方向性が正しいのに選り好みするのは、マヌケ
わがままやカッコつけとは言われても良いけど、マヌケになってはいけない
それが答え。それが今日の結論
ま、どういう生き様でも、それなりに納まっていく。それで良いような気がする。決まっていない
その中で、自分が決める。道は一つじゃないし、考慮すべき要素も一つじゃない
どう生きても、間違いじゃない。という事で、今日はここら辺にしましょう
選り好みは、プライド。方向性だけはこだわり、安売りをしながら、実績を重ねる。どう生きても、自分の生き様
そうか、自分の生き様か。そう考えると、自分は生き様と言えるような生き方をしているのか?と、我が身を振り返ると、意外に生き様としか言えないような、生き方をしてた。これはビックリ。あ〜。私は、結構な生き様で生きてる。なんでこんな所で、そんな再認識をしてしまったのか。ホントに。そんなこんなで、明日ですね
明日は『抱く』というタイトルで、理解者について考えます。お楽しみに!!