おどり
というタイトルで、それが意味するモノについて考えます
しぐさ
踊りとか、しぐさとか、それが意味するモノってなんだろう。今日はそれを考えてみる
踊りというのは、世界中どこにでもあるモノ
自己表現であり、他の人に披露するモノでもある
どうして人は踊るのか。そして人の踊りを見るのか。その理由はなんだろう
踊り自体は、体を使ってするモノ。一人でやるモノもあれば、団体でやるモノもある
だいたいの場合、音楽に乗せて踊るカタチ
コレは何を意味しているんだろう
同じく体を使うモノで、しぐさというモノがある
しぐさというのは、そのヒトの気持ちなどが、無意識に体で表現されるモノ
意識的ではなく、無意識で出てくるモノ
勿論意識的に計算でしぐさをするコトも出来るが、それは本物ではない
どちらかというと、自然に出てしまうのがしぐさ。気持ちがしぐさに現れる
なんで気持ちは、しぐさとして現れるのか。なぜ、体が動いてしまうのか
それはおそらく、防衛本能や攻撃本能。本能がくすぐられて、出てくるのだと思う
本能なので、無意識的。本能なので、頭だけではなくカラダも動いてしまう
防衛本能などはとくに、すぐカラダが反応しないと間に合わない
なので、ほんの少しの気持ちの変化が、しぐさとして現れる。そうか、しぐさというのは本能
では、踊りというのも本能だろうか。確かについ踊ってしまうというコトはある
ただ、踊りの場合はとても意識的なコトが多い
そして人が踊っているのをマネる事も多い
これはどうして、そうなるんだろう
おそらく、しぐさの本能的なモノとは、ナニかが違う。もっと社会的なモノ
しぐさは、攻撃本能や防衛本能からくる。つまり個人的な領域。でも踊りは社会的
社会的なので、人のマネをする。さらには、踊りを合わせるコトもする
そして、選りすぐれた踊りにする為に、工夫もする
そうか、踊りは社会的なモノ。個人ではなく、人に見てもらって意味を持つ
そして、他の人と一緒に合わせる。この合わせるっていうのに都合が良いのが、音楽
音楽に乗せてなら、みんな合わせやすい。お手本を見ながらでなくても、音楽がタイミングを教えてくれる
そうか、踊りというのは社会性のあるモノ。みんなで、するモノ
みんなでする社会的な踊り。それは、なんの為にするんだろう
社会性と言っても、基本的に他人の集合体。でも、一緒に踊るとすると仲間意識が生まれる
そうか、仲間意識を作る為に、踊りというモノは必要なのか
では、ショーとしての踊りはなんだろうか。それも仲間意識なのだろうか
ショーとして、人に披露する踊り。これは、単純にその技術を見せる為のモノ
とすると、ショーで出てくる踊りは、技術がなければダメなのだろうか
おそらくコレはイエス。やはり技術を見せている。そして、その他に音楽や照明などの演出もある
アクロバティックなモノもあるし、ショーなので何をやってもイイ
ただ、もしかしてショーというのは、仲間意識をつくる踊りとは、別物なのかもしれない
人に見せるというのは共通点だが、逆の方向に行っている
ショートしての踊りは、みんなが出来ないほど価値を持つ。みんなが踊れたら、価値は無い
みんなで踊って仲間意識をつくるのとは、逆の方向
おそらく、工夫するという一要素が、一人歩きしたモノだと思う
勿論踊りに正解があるワケではない。他人の集まりから、仲間意識をつくる踊りばかりじゃなくて良い
どんな形であれ、受け入れられればそれで良い
ただ、おそらくは踊りは他人の集まりである社会の中で、仲間意識をつくる為の道具
そこが始まりだと思う。今日はそれを結論とする
いろいろ考えると、それなりに答えが出るもんですね。今日も、分かって良かった
踊りは、社会性。踊るコトで、他人が仲間になる。バラバラな意識が、いっしょに合わせて、ひとつになる。意識の共有には、確かに踊りはちょうどいい
そうか、意識を共有する為に、踊りって良いよね。音さえ聞こえれば、人数を増やしても、踊れるもんね。なるほどね、しぐさは個人だけど、踊りは社会ですか。その結論で良いんでねいかい?うん。それじゃ明日ですね
明日は『差』というタイトルで、魅力について考えます。お楽しみに!!