えすかれーしょん

ようきゅう

ようきゅう

というタイトルで、順序について考えます

役割

役割を要求する。その順序について

まずは、脳の中で創り出すイメージが、一番最初にくる

この脳の中で創り出す世界は、とても身勝手で、求める要求も強い

相手が出来るかどうかなど関係なく、ともかく完璧なモノを要求する

脳が作り出してしまうイメージは、自分にとって都合の良すぎるモノ。それが最初にくる

そのあとは、現実的な役割。世の中には、様々な役割があって、それぞれが担っている

その役割に対して、世の中の評価通りのモノを、要求する

そのヒトが出来るかどうかは関係ない

その役割なりのモノを、当然のコトとして要求する

それ以下であれば、許さない。怒りとなり、苛立ちに変わっていく

役割に対して、要求する

これはみんな最初は頭の中で、要求している。それが現実社会の役割に対しても、残っている

完璧を要求しないまでも、その要求は強い

実際に、その役割の人が、それだけの能力があるか

確認する前から、あって当然という考え

頭の中の身勝手な要求の名残が、残っている

役割があっても、個人差というのがある。出来るヒトと出来ないヒトがいる

向いている人と、向いていない人がいる

本人が望んでなる役割もあるし、渋々その役割を引き受ける場合もある

なので、役割があっても、その能力があるとは限らない

それが実際の姿。でも、固定観念の強い人ほど、完璧なカタチを求めてしまう

この固定観念というのが、結構なくせ者なのだと思う

固定観念を探って行く

固定観念は、相手を見ていない。現実を見ていない

本来は相手を見て、現実を見て、その上でどうするかとなる

でも、固定観念の強い人は、自分の脳が創り出す幻想の世界で生きている

なので、その幻想の世界を押しつけてしまう

脳のイメージを、そのまま要求している。融通が利かない状態

みんな要求には応えたい。でも、無理なモノは無理

要求と、応える側。双方の折り合いによって、世の中は出来ている

そこまで強く要求しなくても、弛めても世の中はそれなりに回っていく

相手が出来なければ、自分が担えばいい。結局自分が担うコトから、逃げているのだと思う

無責任で、いたいのだと思う。それで担うコトから逃げるカタチ

固定観念が強く、融通の利かない人は、自分の都合の中で生きている

世の中を、固定観念で割り切ろうとしているのかもしれない

でも、世の中は割り切れない。不確定要素がある

固定観念が強すぎると、不確定要素に対応ができない

現実を見て、相手を見て、双方がどう対応していけばいいのか

不確定要素があっても、普段から対応していれば、乗り越えられる

固定観念だけで生きるのは、リスクが高すぎる

折り合いを付けて、現実を考慮して、その都度答えを出していく

答えは決まっていない。状況は、決まり切った答えでは、リスクが高い

固定観念や、決まり切った答えだと、無理が生じすぎるんだろうと思う

これは、気をつけないとイケない。逃げて、ラクをしちゃイケない。そう思う

要求は、逃げ。自分が担うモノ、相手が担うモノ。その都度その都度、ちゃんと見て判断

そうか、答えは決まってないんだね。どうしても、ラクをしてしまうよね。決まり切ったモノを欲しくなるけど、そんなモノ存在しないから、ちゃんと対応しないといけない。状況は、変わらないようで変わっていく。みんな不慣れ。その上でどうするかなんだろうなぁ。はい

それじゃ明日ですね。明日は『検索』というタイトルで、自分の中の選り好みについて考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん