しゅうにゅう
というタイトルで、労働と立場について考えます
得る
収入を得るべくは、労働だろうか、立場であろうか
収入。給与の事。この給与、何に対して支払われるべきだろうか。それを考える
立場に対して、給与は支払われているのか。それとも、労働に対して支払われているのか
昔は、階級があり、人によって身分の差があった
身分の高いモノは、沢山の給与を当然のように受け取る
身分の低いモノは、少しの給与しか貰えない
身分制度は、ほんのこの前まで普通にあった制度
普通にあったからだろうか、どうもその名残が残っている
身分は立場。立場が高ければ、さほど労働をしなくても、高い給与が約束されている
約束されているので、当然だらける
身分制度や、チカラの支配の欠点はここにあって、上に立つ者ほど堕落する
これは大昔からくり返される。しょうがない。みんなして上に立つ者を、甘やかしている
これでは堕落するのも当然
上に立つ者は、権限を持つモノでもあるから、みんなが甘やかしてしまう
自分の身かわいさがある。権限のあるモノに対して、真実を言えない
なぜなら権限のあるモノは、自分の立場を奪うコトも出来るから。それが恐ろしい
恐ろしくて、当たり障りのない言葉を選ぶ
簡単にいうと、おべっかばかり。これが、甘やかし
長い間、身分制度が続いたからだろうか、案外シックリくる
労働に対してよりも、立場で給与が払われる方が、シックリ
肩書きで、人を判断するのも、身分制度が長かったからだろうと思う
肩書きによって、自分の立ち位置を決める。それが身を守る戦略だったのだと思う
明治になって、一応身分制度はなくなった
といっても、肩書きの横行する、支配の世の中だったのが、大日本帝国
第2次世界大戦が終わって、大日本帝国もなくなった
にも関わらず、肩書きのシステムは、無くならなかった
おそらく、それが無いと判断が出来無いのだと思う。分かりやすい肩書きがあって、やっと判断が出来る
肩書きがなければ、どこに身を置いて良いのか分からない。とても気持ちが悪い状態
それで、立場を求める。同時に、上と下を作ってしまう
これは身分制度病。まだそれが治っていない
身分が肩書きや学歴に入れ替わって、現在も存在してる
身分制度の亡霊。それが、立場に給与を払う事を、当然のコトとしている
本来は労働に払われるべきモノ。立場では、上の者を堕落させる
真実を隠し、おべっかが横行する。隠蔽体質の、元凶にも繋がる要因
さて、この身分制度の亡霊。どうすれば追い払えるだろう
確かに分かりやすい。自分より上の存在や、下の存在が分かった方が分かりやすい
いや、まてよ。この上の存在や下の存在というのは、絶対無いとイケないモノだろうか
人と付き合う時、そのヒトが上とか下とか、決めないとイケないのか
いや、そんな事はない。人と付き合う時、上や下はなくても良い
人と付き合う時の、礼儀があれば足りる。人によって態度を変える方が、いやらしい
そうか、身分制度はイヤらしいモノ。人によって、態度を変えるんだからね
日本人はそれを当然として、その役割を演じ分けてきた。そういうモノだと思い込んでいた
それがイヤらしいモノだと分かれば、そんなモノを守る方が、気持ち悪い
誰に対しても、礼儀を守る。それでイイように思う。立場は作らない
立場を完全に廃止して、役目でいい。役目と労働に入れ替える
なるほど、そこがずっと間違えていたのか。今日もこれでスッキリした
そりゃそうだよね。人によって、態度をコロコロ変えるって、イヤらしいよね
それに気づかなかったなぁ。そんな事に気づかないでいたなんてなぁ
やっぱり世の中難しいわ。いろんな問題が、当然の顔して存在しちゃってるんだもん
ま、全部変えるなんて無理だから。ちょっとずつね。100年くらいで、変えられるとイイのかな
そう思う。うん
収入は、労働に。人によって態度を変える、身分制度病。みんながイヤらしい生き方をしてる。誰でも尊重、そう行きたいね
そうか、なるほどな。目上を尊重するって、個人的に好きなんだけど。確かに、目下に対しても尊重した方がなお良いな。上とか下とかじゃなくて、誰でも尊重する方が、何より良いね。やっぱ病気だわ。深い所まで侵されてた。治さなきゃな。上も下もなく、みんな尊重する方にね。ウン
はい、明日ですよ。明日は、『要求』というタイトルで、役割について考えます。お楽しみに