むじゅうりょくかん
というタイトルで、重すぎる責任について、考えます
頼れない
頼れない、重すぎる責任を負わされた時の、無重力感
権限を持つというのは、それなりに重い責任を負う事でもある
それが出来るのならイイが、もしも出来ないのに、重すぎる責任を負ったとしたら
どうすれば良いのか分からない。その時に無重力感を味わう
それまではずっと、地に足がついていた
そのハズが、とても不安定になる。どちらが上か下なのかも分からない
無重力状態
そんな状態になっては、安定したい。何かにしがみつきたいと思う
アメリカの大統領でも、占星術に頼っていた人がいるという
まさしくそれは、この無重力状態が生み出すモノ
人は安定したいモノ。安定して当然と思っている
なので不安定の中にいると、耐えられない
地球の重力の中で、安定が得られている。その中で、動きは制限されるが、思わぬ所に行ってしまう事もない
もともと人は、何かに頼りたい存在なのだと思う
何かに頼って、それで生活していける。知らず知らず頼っている
なので、それが効かない時に、無重力状態になる。どうして良いか分からない
パニック状態に陥ってしまう。自分以上の力は出せない
それ以上の負荷が掛かると、パソコンがダウンするように、人も動けなくなる
そんな局面は、多くはないだろうけれど、現実として存在する
なので人は、大きな存在をイメージして、それに頼るのだと思う
揺らぐコトのない、絶対の存在をつくって、それにしがみつく。それで安心が得られる
人はそんなに強くないし、コンピュータのように分かりやすくもない
大きな存在、絶対の存在を作り、それを都合よく利用し、生きてきた
それが人の歴史。人が身を守ろうとする、手段
それはおそらく、どこの国のヒトにもある
不安定の中では、やっていけない。何か拠り所が欲しい。大きな存在が欲しい
必要な存在がある。それが無い時は不安定。誰かがその存在を作る
それはみんなが求めていたモノ。それに、みんながしがみつく
おそらくそれは、カタチを変えて未来にまで続く。人が人である限り
なぜそのようになったのか。いや、以前はもっとその要素は強かった筈
昔の方が、ワケの分からない災難は、今よりも多かった。すがりつきたくなる要素も、多かったと思う
理由を探したくなる。なぜそうなったのか。その理由を付けてくれる存在
なぜ理由が欲しくなるのか?理由を求める、それは納得がいかないから
どう考えても、納得がいかない。結局考えてもどうしようもない事だらけだと思う
でも人は考えてしまう。それで、理由が欲しくなる。本当は考えてもしょうがないコト
考えてもしょうがないが答えだけど、それは認めたくない
認めたくないのは、なぜか。もし認めてしまうと、どうなってしまうのか
認めてしまうと、けだものと同じになる。そこら辺の石コロと同じになる
つまり、ただ運命として受け入れるだけの存在。好きなようにされても、受け入れるだけの存在になる
そんな存在にはなりたくない。おそらくその傲慢さが、理由を欲しがる
人は傲慢なんだと思う。それで理由を欲しがる。理由がないなんて思いたくない
石コロと同じには、なりたくない
もし石コロと同じになったら、どうなんだろう。全てを受け入れるだけの存在
そうなったら、何も考えなくなる。何も対策をとらなくなる
それはけだもの。何も考えないで、その場その場で行動するだけ
けだものにはなりたくない。ヒトは考えるコトが出来る生き物。対策を講じるコトが出来る存在
それで、人は考える。理由を求める。それで苦しむ。何かにすがる
大きくて絶対の存在も作る。自分が納得出来るように。無重力に、陥らないように
そんなところか。人ってね
無重力感は、傲慢。受け入れを拒んだ人類の、さだめ。対策を講じようとする、人が背負う感覚
そうか、こんな答えに辿りつくとは。人が石コロやけだものではなく、考えて対策を講じる存在だから、苦しむのか。背負おうとするからね。それが当然と思っているからね。でも、実際背負えないから、大きくて絶対的な存在も作ってしまう。難しいね。でも、考える動物だって事は分かった。それだけでも大きいよね
それでは明日。明日は、『収入』というタイトルで、労働と立場について考えます。お楽しみに!!