ださい
というタイトルで、ダサいについて考えてみます
気にする
自分の格好は気になる。ダサくはなりたくない
さて、ダサいとはなんだろう
ダサいというのは、否定である事は間違いない。なりたくない存在をあらわしている
それは、誰から見てだろうか。自分から見てだろうか。それとも他人か
ダサい人は、自分では気づかない。ヒトから言われるモノ
とすると、ダサいというのは他人から見て、というコトになる
同じ格好でも、他人が何も言わなければ、そのままなのだろうか
これはおそらくそのまま。何も変えない。あくまで他人の評価を、気にしているというコト
他人が、否定的な評価をするので、自分でもそれを避けたくなる
それで、なりたくない自分。ダサいが完成する
では、ダサい自体に、本質的なモノはあるのだろうか
本質的なモノというのは、動かないモノ。揺るがないモノ
これは、とても怪しい。時代によって、評価は変わる
その時代で否定されても、他の時代になれば評価されるコトもある
決して決まっているモノがあるワケではなく、つまりはとても適当なモノ
とすると、ダサいというのは適当なモノと、結論づけてもイイのかもしれない
適当なカタチを否定して、その型にはめている遊び程度のモノ
どちらに転がってもおかしくない。どれでも正解であり、不正解
では、なんでこんな事をしてしまうのだろう。人は、どうしてそんなコトをするのか
ダサいというのをよく使うのは、女の子。結局女の子の発想
男の子は、大して気にしない。勿論つられて使うコトはあるが、女の子から発生する
女の子はどうして、そんなダサいというような、否定をするのか
女の子は、男の子よりも、見た目を気にする。ほんの小さな所まで、気がつく様に出来ている
その中で、オシャレという表現で、着飾る事を楽しむ
自分を着飾っての、変身願望。女の子アニメでも、変身モノは受けがいい
とすると、女の子の中では、着飾るというのはとても重要な要素
なるほど、確かに女の子は服に沢山お金をかける。それだけ、優先順位も高い
女の子の方が、それだけ労力を使っているとも言える
ダサいというのは、あくまで他人の評価。そこから考えると、女の子が一番嫌う事が分かる
それは、自分が労力を使って着飾った事を、素通りされる事。つまり誰も気にとめない事
誰も気にとめなければ、せっかく労力を使った事が、無駄になってしまう
そうならない為にどうするか。いかに自分が価値があるか。それを確立させようとする
実際にはどうするかと言えば、誰かを否定するコト。誰かを否定して、自分を肯定させる
自分の労力を注いだ着飾りと、反対の存在を否定していく
つまりその否定が、ダサいに繋がっていくのだと思う
ただ、全ての女性が着飾れるワケでもない。着飾るには、それなりの財力がいる
財力を使って着飾れる人間が少数であれば、そのヒトがどんなに否定しても、数で負ける
とすると、全部の女性にその傾向があっても、経済的な理由で、出来る場合と出来無い場合があるというコト
ある程度多数をとった所が、その勢力になっていく。おそらくそれが流行
男をやっていると気づかないが、女の子の間では、日々そのしのぎ合いが行われているのかもしれない
そのしのぎ合いの余力が、男の方まで回って来ているのだと思う
ダサいというのは、肯定されたい女の子が作りあげる、ひとつの現象と言える
女の子は、肯定に飢えている。極力、肯定してあげて否定が強まらないように、したいね
正直迷惑だからね。格好とかで否定されるのって。めんどくさい
女の子の気持ちは汲みたいけど。やっぱりめんどくさいんで、極力肯定しときましょ。男的にはね。はい
ダサいは、裏返し。労力を肯定して欲しい女の子が、引き起こす現象。迷惑だが、そういうモノ。付き合いましょう
そうか、女の子は労力かけてるから、その分評価されたいワケだね。女の子のこれ見よがしは、否定したくなるけど、そう言う時こそ評価したほうがいいのかも。そうじゃないと、ダサいって裏返しがキツくなるでしょ。それはもっと厄介だから。良い評価するって、重要だね
じゃあ明日。明日は『準備』というタイトルで、お金を使う側について考えます。お楽しみに!!