つる
というタイトルで、憧れについて考えてみる
カネ
カネで釣る時代ではない。セレブは、おバカキャラであって、憧れじゃない
時代が変わった。時代が変わったというのは、状況が変わったというコト
モノは溢れている。昔とは違う
昔は、14型くらいの小さいブラウン管テレビが、8〜9万円もした
ビデオは、20万円くらいした。欲しいモノがある時は、半年くらいかけて、貯金をして買っていた
でも、今20万円もあれば、必要なモノは揃ってしまう
車や家を購入する事を考えなければ、かなり安くなんでも揃ってしまう
それは、充分満足出来る状態
流通の高度化や、グローバル経済によって、少ないお金でなんでも揃う世の中になった
そんな状況下では、昔程憧れというモノが、存在しない
惰性はあるので、まるで亡霊のように、プール付きの広い家とか、高級車とか求める感覚はある
でもそんなモノはただの亡霊であって、実際の憧れではない
実際に求めるモノは、無くなってしまっている
そんな中では、お金では釣れない。憧れでも釣れない
根底に満足があるので、やる気というモノも起きてこない
それでイイのかもしれない。惰性があるので、なかなか方向転換しにくいのだけれど
こぢんまりと生きて、良いような気がする
もう大きな夢を見ながら、日々の貧しい生活を我慢する状況ではない
お金持ちを、羨ましがる状況でもない。世の中がそれだけ、進歩した証拠
それって、前時代のヒトが求めていた世界じゃないかと思う
こんな世界を求めていた。その世界に辿りついた
とする時、もう憧れは要らないでしょ。もう、おっきい夢も必要無いでしょ
もっとこぢんまりと、着実に生きていければイイように思う
使わないそこそこの時計が、引き出しの中に眠っていたり
ブランドモノのバッグが、ぐしゃぐしゃになって、クローゼットに入っていたり
もともと、日本人には贅沢なんて似合わない
亡霊のせいで、そんな生活をしているけど。なんとなく、させられてる感じが残る
この生活をさせられている。したいのではなく、させられている
もう、そんな生活から解放されても、イイような気がする
自分の生きたいように、誠実にこぢんまりと生きる
憧れに釣られながら生きるのではなくて、それぞれのカタチでこぢんまりと生きる
多様で、謙虚な生き方。それの方が、これからの生き方に合うような気がする
先人達が充分な世界を築いてくれた。それに感謝して、細々と生きる
細々と生きるといっても、充分満足出来る。とても恵まれている
その段にいたって、他のヒトと比べる必要もない。条件は揃っている
それぞれが良かれと思うカタチに。それぞれに合った、自由で多様な生き方に
それがこれからだと思う。今までは出来なかった。なので
せっかくこれだけの世の中になったのだから、これからは、多様な生き方に出来ると思う
それと、まだそこまでの生活が出来ないヒトにも配慮したい
そのヒトたちの生活が向上するように、手助けできれば最高だろうと思う
自分たちがどれだけの恵まれた生活を、享受出来ているかを意識
生き方を変える。亡霊はいるけど、状況は確実に変わってるから
次の段階に、我々の生活は、その段階に入っている
現在はその狭間。その狭間の中で、さてどう生きよう
釣るは、在り方。もう、憧れで釣られる状況ではない。充分揃ってる。細々と誠実に、そして多様に。やっとその段階に来れた
そうか、その段階か。確かに、セレブな生活のヒトを見ても、心躍らない。それよりもタブレッド端末で、いろんなコトできる方が嬉しい。貴金属チャラチャラやってても、悪趣味に感じる。それよりおいしいモノ食べた時の感動の方が大きい。状況は変わる。あとは自分たちで、どう生き方を変えるっかって、事なんでしょうね
それでは明日ですよ。明日は『カラクリ』というタイトルで、差について考えます。お楽しみに!