ほはば
というタイトルで、人とうまくやっていくコトについて考えます
共に
何かを共にやっていくなら、歩幅を合わせる意識
人と自分とは違う。似ている人も居るけど、基本的には違うと考えてイイ
似ている人は、能力的にも似ている。なのでかぶってしまうコトも、多い
似ていなければ似ていないほど、能力も違う
能力が違うというより、その能力の導き方が違う
導き方が違うので、出てくる能力もまるで違ったりする
能力が違うなら、かぶる部分も少ない。協力できたなら、それはとても心強い
ただ、問題がある。違うというのは、その他のモノも違って、正直やりづらい
ギクシャクギクシャクするばかりで、何も進まない
それはよくある事。さて、その時にどうするか。どうすればうまくいくだろう
その時は、歩幅を合わせる意識で
結局、ナニが違うかと言えば、テンポ。テンポが合わないので、違ってしまう
ならば、そのヒトと歩幅を合わせる意識。合わせるモノはいろいろあるけど、なりより合わせるべくは歩幅
歩幅を合わせる意識を持てば、自然とテンポが合ってくる
自分とテンポが合えば、相手もやりやすい
テンポ以外のモノは、合わせる必要は無い。おそらく合わない
そこは違う所なので、合わせようとするなら、無理をして取り繕うしかない
取り繕う行為は、努力だけれど、相手にすれば嘘でしかない
嘘で合わせていたと分かった途端、せっかくの関係は壊れてしまう
歩幅を意識して、テンポを合わせる。あとは合わないままで
他のモノは合わせなくても、テンポを揃えれば、共にやっていける
同調する必要なんて全くない。それも嘘になるだけ。嘘はイケない。嘘じゃ続かない
もし嘘を貫いたとしても、とても疲れてしまう。健康上、好ましくない
同じじゃなくても良いんだから。無理に同じにする必要は無い
合わせるのはテンポだけ。その為に、歩幅を合わせる。勿論限界はあるけど
ま。出来る範囲で。努力だけしてみる
共にやる事が同じ目的の事ならば、歩幅も合わせられると思う
早い人には早く、ゆっくりな人にはゆっくりと
それだけでも、安心は得られる。その安心は、やりやすさに繋がり、信頼にもなっていく
求められているのは、歩幅を合わせられるヒト
優れてるヒトの方が、役に立つようなイメージがあるけど、歩幅を合わせた方が何かとうまくいく
優れている必要なんか無い。優れていても、浮くだけでしょ
世の中に毒されて、優れてないとイケないように、思い込まされていたのかも
何より大切なのは、テンポを合わせる。その方がみんなのチカラを最大限使える
テンポを合わせる為に、歩幅。いろんなヒトのいろんな歩幅。それをよく見て、合わせていく
この能力の方が、有効な気がする。いや、それで間違いない
テンポが合えば、深い所まで連結されると思う
そして、敵対ではなく仲間意識も芽生えていく。それが何より重要でしょ
テンポテンポ。テンポを合わせれば、深く強く結びつくコトが出来る
歩幅は、特有。テンポを合わせる事で、深い理解と承認を得られる。それは安心に繋がるし、居心地が良い
そっか。理解と承認された感じか。確かにわざわざ、自分とテンポ合わしてくれる存在は、ありがたい。自分のコトを、少しは考えてくれている存在。確かにありがたい。それだけで嬉しくて、大切にしたいね。居心地良いワケだし。考え方違っても、それ自体は些細な事と思える。結局、相当重要な所まで、共有出来るってコトなんだろうな。歩幅
では明日です。明日は『得る』ってタイトルで、プラス思考について考えてみます。お楽しみに!