えすかれーしょん

あどりぶ

あどりぶ

というタイトルで、最大限発揮するコトについて、考えてみます

自分の能力

自分の能力を最大限発揮するには、アドリブでしょ

アドリブって、その場その場で即興

何も準備しない状況で、振る舞う

それは適当にこなす事じゃない。自分を追い詰めるコト

何が飛び出すか分からないでしょ。追い詰められた時って

自分でも、どうなるか分からない。最初から決めていないし、準備もしてない

でもその方が、結果として良かったと

そうなったら、次からもそうする。最初から決めない

コレは単純な話。決めて作ったモノは、小さくまとまってしまう

小さくまとまっているって、自分でも気づく。決めてしまっているので、不自然でもある

自然にする為には、決めないで委ねる。なにか、自分以外のモノにね

それはとても怖いコト。追い込まれていくから。自分でもどうなるか分からないから

でも、そっちの方が楽しい。小さくまとまらないし、勝手に転がっていく

鳥山先生のドラゴンボールも、途中からのアドリブ感はすごかった

あんなの最初から決めてちゃ、絶対に出来無い

その場その場で、最大限自分のチカラを発揮するんだろうね

追い込んで、最良の方法を探す。なんで面白くなるかっていうと、智慧の量が違う

最初から決めたんじゃ、その時のみの智慧だからね

その場その場で知恵を注ぐモノには、叶わないでしょ

お互いをお互いに、追い込んでいく感じ。私のこのブログも、途中からアドリブ型に変更

それってとっても恐かったけど、なんとかなるって分かってからは、その方式

その場その場で、どうしてだろうって考えてる

だから、答えがとんでもない方向に行って、驚くコトもしばしば

それって、最大限自分のチカラを使えてる証明

自分で驚くって、最大限自分の力を引き出しる時に、起こる現象

結局、最初の段階の自分のチカラを、越えている。だから驚くんだね

不発に終わる危険性を、いつもはらむけど、アドリブこそ最大限のチカラを発揮できる

安定してダラダラやるより、追い込んで追い込んで、捻り出す方がよっぽど良いモノが出る

コレって多分、本当にその状況に立つからなんだろうな

その場に立たないと、分からないコトがある。しかも追い込まれてるから本気

その場で本気だから、オリジナルの自分なりの方法論が出てくるのかもね

最初から想定してたんじゃ、ありきたりの借り物で、埋めていく作業になる

カッコはつくけどね。なんも新しくもない、つまらない物が出来ちゃうよね

そういえば、面白いけど誰かのマネっぽいなって作品作るヒトって、結構いる

そう言うヒト達って、最初から作っちゃってるんだね

なんか堅苦しくって、誰かが作った型どおり

そういう人は、アドリブではやってない。最大限、チカラを発揮していないんだろうね

やっぱりチカラを発揮する為には、アドリブ

もちろん、アドリブで追い詰めても大丈夫なくらい、基礎能力は要る

形にまとめるだけの、チカラは必要

それがあるなら、アドリブの世界へ。追い詰めて、追い込んでいく、未知の領域へ

追い詰められるからこそ、最大限のチカラが発揮される

自分以外の、何かのチカラが動いているようにも、思えてくる

そんな究極のやり方なんだろうね。だから、即興ってバカに出来ない

そこに、究極が隠されてるんだからね

アドリブは、最大。未知の領域に追い込むコトで、最大限のチカラを発揮できる。一番の方法を、必死で探してるんだな

そうか、アドリブって追い込まれてるから、必死でなんとかしようって。それで良いやり方が見つかる。それを接ぎ木して、どんどん出来上がっていくワケだ。最初から、展開を想定してる物が、叶わないワケです。はい。

それじゃ明日です。『ふれ合い』ってタイトルで、学ぶコトについて考えてみます。お楽しみに!

-えすかれーしょん