えすかれーしょん

うんめい

うんめい

というタイトルで、不幸について考えます

諦め

運命として諦めがつけば、不幸にはならない

今日のテーマは、運命というコトなのだけれど、まずはどういう時にそんな言葉を使うのか

そこを切り口として、ちょっと掘り起こしてみようかと

運命って、自分のチカラを越えている。どうにもならないコトでしょ

自分のチカラじゃどうにもならないから、運命ってコトで諦めつけるワケだよね

となるとね、自分のチカラでどうにでもなる事が増えるほどに、運命は出番がなくなる

この自分のチカラでどうにでもなるって、世の中的には安定してる状態

安定するほどに、運命って使わなくなる

自分でどうにでもなるから。なるような気がするから

それで、不幸が増える。不思議だけど、運命が引っ込むと不幸が増えていく

物事が全て場当たり的ならば、次に何がくるか分からない

分からないモノはしょうがない。分からないモノなら諦めがつく

その諦めを違う言い方で、運命

運命というのは、諦めの中にあって、自分を納得させてる

運命だから、しょうがない

でも物事が安定して、順調に進んでしまうと、何が起こるか予想がつくでしょ

予想がつくと、その通りならないとイケないと思うようになる

その通りならなければ、自分は不幸なのではと

大きなコトから小さなコトまで、不幸というのがつきまとう

結果として、不幸が増えるコトになる

不幸とは、感じるコト。実際にどうかは関係ない。不幸と感じるなら不幸

で、世の中が安定した方が、不幸と感じるコトが増えてしまうという、あべこべな現象

人って、脳が予想できてしまうコトが出来ない時の方が、不幸って感じるみたい

逆に脳が予想できなきゃ、諦めもつくって。コレって、不思議

予想が出来るって、主導権が自分にあるってコト

世の中が安定する毎に、いろんな主導権が自分に

予想の段階で、半分ぐらい自分の物にしてる。その立場から、モノゴトを考えてる

つまりは横暴

気づかぬうちに、横暴になっているのかと思う。運命って言葉が飛び交っている方が、謙虚なのかも

自分では、横暴になっている感覚はない。でも、不幸だなんて思ったりはする

これってやっぱり、横暴になってるんだね。気づかないうちに、横暴になって

運命という諦めではなく、不幸という言い訳を、嘆き続ける

ただ自分が、横暴なだけなのに。言い訳したり、誰かの所為にしたり

そうか自分が横暴だったのか。いやいや、この指摘は結構痛い

世の中が安定してるんだから、実質的には幸せな筈だからね

贅沢になってるのかもしれないね。その指摘も痛いや。贅沢してる感覚なんて無い

でも、どうやら横暴で贅沢になってるらしい。コレは反省しないとイケない

こんなに恵まれて、幸せなのに、世の中には不幸だらけなんて

脳の横暴さを、自覚したい。ホントの謙虚になりたい

そうすれば、いろいろ許せるのかもしれない。自分のコトも、不幸ではなく、そんなモノと許せるかも

予想がつくけど、それって幸せ。その通りいくなら、とても幸せだっていう考えに、改めないとね

もしも不幸が出て来たら、運命に置き換えちゃえばいい

今まで人類はそうやって乗り越えてきたんだから、それはとても洗練されているハズ

せっかくの安定した世の中。もっと感謝していこう。そう思う

運命は、諦め。脳が予想出来るようになって、不幸が増えた。実際の不幸は減っている。まやかしが、増えたってコト

確かにほんのちょっとの事で、不幸なんて思ったりする。なんてこと無いのに。運命運命。諦めて、とっとと次に。運命を使うのは、人の智慧。諦める時に、スパッと切れる。いつまでも引きずって良いコト無い。運命って言葉で、スパッとやっちゃいましょう

てコトで、明日なんですけど、『アドリブ』ってタイトルで、最大限発揮するってコトについて考えてみます。お楽しみに!

-えすかれーしょん