えすかれーしょん

あわせる

あわせる

というタイトルで、入り口について考えてみます

選ぶ

人生の入り口において、どの道を行くか選ぶワケですけど、これは合わせるの方が良いのではと言う、話でして

人生の入り口では、どちらに行こうか迷うもの

そこで最終的にはどこかの道を選ぶワケですが、もしもそこがダメだったら

選んだ道がダメだったら、辛くないですかね

人生の入り口では、こちらも選ぶワケですが、実は向こうも選ぶワケで

選ばれないとなると、とても悲しいのですけれどね

お互いに何か、とても悲しい想いをする

そんな悲しい想いをする必要が、あるのかなってね

そこで、選ぶというのをやめたら良いんじゃないかって、思うワケで

もしも選ばれなかった場合。それは選ばれなかった理由があるコトを意味し、その理由って良いか悪いかになる

選ばれなかったなら、悪かったって事になるでしょう

本当に悪かったんなら、そこを直せばいい

でも、何も悪くないのに選ばれなかったんなら、それはどうするコトも出来無い

ただ、選ばれなかったという事実だけが、のしかかる

自分はダメだという、烙印だけを押されてしまう

選ぶっていう言葉選びが、おそらく間違っている。選ぶというのは、ちょっと残酷すぎ

それでね。人生の道は選ぶんじゃなく、合わせるにした方が、良いんじゃないかとね

自分と合わせる。向こうと合わせる

断られたら、合わなかっただけ。合わせるって、方向性だから良い悪いじゃない

合うか合わないか。たとえば、パズルのようなもんだね

パズルのピースって、別に良い悪いないでしょ。ただ合わせるだけ

それでいいような気がするよ。だってそこには本質でもあるでしょ

自分の形と、相手の形を合わせるんだよ。自分の本質と相手の本質だね

選ぶってさ、普段からよく使うから、そんな残酷なコトだと思いもしないよ

でも、選ぶは良い悪いだから、実は本質も無視なんだよね

自分の形も相手の形も無視して、世の中的な価値観で判断してしまう

これじゃ、実際その世界に入った後、合わなかったってなるでしょ

世の中的には良い所に納まったけど、どうやっても自分とは合わないってね

そりゃそうだよ。合わせ無いで選んじゃったんだからね

うまく行かなくなってから、合わなかったってのは遅いよ

これってよくある間違いだと思うんだよね。選ぶと合わせるって、ほんの僅かな差だから

誰も気づかないで、間違ったまんま、すごしているんじゃないでしょうか

選ぶって、あってもいいけど、人間に対しては禁止した方が良いよ

何か物を選ぶのはいいや。でも、人間に対しては使わない。使っちゃなんない

人間に対しては、合わせるを使う

人生の分かれ道が来た時は、自分に合う方を選ぶ

その為には自分というものを、確認でしょう。確認して、長続きできるかってのがポイントかな

長続きできるって、合ってるって事でしょ

人生の入り口では、選ぶんじゃなくて合わせる。合わせる方が、うまく行かなくても落ち込まなくていいや

選ぶってのは日常で沢山あるけど、残酷って認識を持ちましょう

ヒトに対しては、使わない方が良いでしょう。傷つけちゃいますからね

合うか合わないか。それだけです。ハイ

それじゃ今日はこんな所で。まとめに入りますか

合わせるは、本質。選ぶのは良い悪いで、残酷だし、本質でもない。合わせるようにすれば、生き易くなる

選ぶって一般的だから、普通に使っちゃうよね。それが残酷だったなんてな。どちらに対しても残酷。しかも、世間的な良い悪いって基準が隠されてたなんてね。世間の基準てなんだろうな。インチキとまでは言わないけど、本質じゃない。ただの損得なのかな。世間てね

さてさて明日です。『望まれる』というタイトルで、ヒトの存在の納まり所について、考えてみます。おたのしみに!

-えすかれーしょん