きょうゆうよっきゅう
というテーマで、失われたモノについて考えます
技術革新
技術革新はめざましい。それで、共有欲求が強くなる
昔は差があって、メディアというモノは限られていたからね
みんなが見ていて当然だった
ただ、今って技術革新が進んで、簡単にメディアというモノを作れるようになったでしょ
おカネが無くても、そこそこのモノは作れてしまう。素人とプロと差が無くなってしまった
だから、メディアというか、番組というか。その数が膨大に増えたワケ
その結果起きてくるのは、見たいモノはいろいろあるけど、見る時間はないという現象
時間の取り合い。それで、アクセスする番組は、バランバランになる
これは良いコトなんだけど、もう一方では、とてもつまらない
昔だったら、共有出来たのに。バラバラだから、共有なんて出来やしない
感動しても、嬉しくても、自分止まり
技術革新が進んで、あらゆるモノが自分止まりで、虚しくなる
今の時代って、虚しい時代なんだな。結構みんな、虚しさ感じてる
いろんなモノがあって、自分の思うままに生きられるけど、共有出来なくて虚しい
ツイッターの拡散機能とか、ニコ動やUstのコメントとかは、その共有欲求を埋めてくれるね
ヒトが欲しがるモノに、うまい具合に対応しているって、言えるんじゃないかな。的確
それから、ひとつひとつの寿命が短くもなってる気がする
次から次に出てくるから、どうしても寿命は短くなるよね
消えてしまうモノも沢山だけど、その中のモノを復活させても、イイような気がする
良いモノだったら、何度でも何度でも楽しめるでしょ
うまく行くかは分からないけど、お祭りみたいにして、盛り上げたい
ずっとある必要は無いから、その時だけ復活させて、盛り上げる
DVDとか、ブルーレイで所有するんじゃなくて、イベントとして共有
そっちの方が、今の時代に合っている
時間はないけど、共有もしたい。ハッキリ言っちゃえば、DVDなんて見てる時間無いもん
DVD見る時間ある?買ってあるけど、見ないよね。DVDにしろ、ブルーレイにしろ
見ても、とっても虚しい。それがDVD
状況が変わった。時代が変わったから、それに伴って他も変わらないといけない
虚しさの中で、ふと共有出来るヒトを見つけると、それだけで嬉しい
一緒の時間を過ごしてるってだけで、今は価値がある
一人ひとりが、実はとっても価値を持っていて、全然知らないヒトでも共有すると嬉しい
番組の中身も大切だけど、共有出来ている充実感も欲しい
いろんな番組って、イベント化して共有したいね
その時だけのお祭り。それが好きなヤツは集まれって感じで
それで虚しさは、解消される。イベントだらけになればいい。お祭りだらけになればいい
復活祭で、みんなで共有。比較的、ニコ動とかでは、それに近いモノをやってるのかな
ん〜。ニコ動って案外侮れないかも
まさかニコ動の凄さを、認識して終わるとは。意外な結末だったな・・・・はい
共有欲求は、自分止まり。虚しさを解消する為に、復活祭イベント。失われたモノを、掘り起こして懐かしみたいのです
イヤ〜昔のテレビ番組って、3:4の比率だから画面の両脇が余ってる。この部分を利用して、コメントとか見たヒトのリアクション流すと、共有出来てもっと楽しめるんじゃないかな。自分止まりだと、ホントつまらないからね。共有するのって、結構大きい要素だってコトだよね。てなわけで、明日なんですけど、『レッテル効果』というタイトルで、罪悪感について考えます。お楽しみに!!