今日は、知りすぎるコトについて、チョッとね
るーる
責任
知りすぎれば、それだけ多くの責任を負う。見えなかったルールも、見ざるを得ない
知らなければ、責任を負わない
その中で、ただ生きているだけであって、自分のコトだけ考えればいい
でも、知ってしまったなら話は別。知った者は、その知の中で最善を尽くさないといけない
最善を尽くさなければ、知とは暴力にしかならないから
より愚かな存在になってしまうから
知らないのであれば、仕方がない。でも知っているなら、そうはいかない
知らない時には免除されていた責任が、知るほどに押し寄せるコトになる
求められるコトが、違ってくる
世の中が成熟して、より多くの知を手に入れたなら、それだけ責任を負わなければいけない
手に入れた知にふさわしい、行動をとらなければいけない
過去のヒトがしたコトと、同じコトをするだけでは足りない
過去の人の方が、知の量でいえば、どう考えても少ない。なので同じ行動では足りない
知が積み上がるほど、未来になるほど、求められる行動は高度になる
つまり、ちゃんとしないとイケないコト。免除されないってコト
重くのし掛かってくる。今まで見なくて済んだもの。考えなくて済んだもの
それが一気に
急激な変化は、おそらく耐えられない。体がもたない
今見えている問題を解決して、新しい世界をつくったとする
問題は解決しているので、それはうまくいく。でも、今まで見なくて済んだものは残ってる
見えている問題が解決出来たとして、それで終わりではないというコト
次から次に解決しなければいけない問題。より根本的な課題が出てくる
それは、従来の問題とは別物。別物だから体がもたない
根本的な問題とは、自己否定する部分も拡大される。つまり、自分に厳しいもの
それを逃げずに、背負い込む必要がある。向き合わないといけない
自己否定と、自己肯定。その狭間で揺れながら答えを見つけていく
カラダが壊れない程度に、課題をこなす
そしてその見えている課題がクリア出来れば、また新たな課題が
より本質的な世界に。より根本的な問題を。どこまで続くのか、見えている先はまだ終わりではない
ルールは、潜む。知るほどに、見えなかった責任を負う。今も潜んでいる。でもまだ免除。それって苦しみ?それとも楽しみ?
なるほどね。見なくてすんだのに、そうも言ってられなくなるのか。今でもあるけど、まだ免除ね。それだの能力があって、それに伴って責任も出てくる。その都度課題を解決する、必要があるってコトだね。ま。先があるってコトは退屈しないから、良い事だとも言える?よね