えすかれーしょん

おせっかい

今日は、自分がするべき範囲について、チョッとね

おせっかい

能力の限界

能力には限界がある。どこまで、お節介はするべきだろう

何もしなくて良いのなら、それはラク。でも、そういうワケにもいかないらしい

適切な行動が求められる。この適切とはどんなだろう

例えばヒトが溺れている

助けなければいけない。自分が泳ぎに自信があればいいが、そうでない場合どうしたモノか

泳いで助けに入っても、自分も溺れてしまう可能性がある

助ける能力がないのに、助けようとするのは自殺行為

コレ実は、溺れている方から見ても迷惑

泳げないヤツに、助けて貰いたくはない

溺れている者からすれば、速く泳げるヤツを呼んでくれ。連れてきてくれってコト

つまり助ける能力がないなら、繋ぎ役になってくれってコト

助けるって、直接と間接的に助ける場合がある

能力がないのに、直接助けようとするのは迷惑

助けられるかというのは、時の運

後ろめたさは残る。でも割り切る。それしかない

溺れている人を助ける以外でも、すべてにおいて直接か間接か

直接的に手を貸すのか、繋ぎ役か

どちらが良いかは、手を貸して欲しい立場になれば見えてくる

手を貸しても、あまり役に立たないのなら、間接的な繋ぎ役に回った方がイイ

後ろめたさを振り切って、手を引くってコトも有効

あくまで役に立つ存在だけが要る。お節介は、役に立つコトだけでOK

自分というのは、その局面においていろんな役割になるってコト

直接か、間接か、手を引くか。キーになるのは、相手が何を求めている。そして自分に何が出来るか

相手本位と、自分本位の合わさったモノがお節介

どちらか片方でも、成立しない。その都度その都度、するべき役目も変わっていく

自分の出来るコトはすぐ分かるから、相手本位で見ておけば、間違わないで済む

行くか、繫ぐか、退くか。その判断

お節介は、割り切り。逆効果にならないよう、判断。出来るコト以上を引き受けるのは、迷惑。悲惨な結末は呼び込みたくはない

悲惨な結末、呼び込むコトにもなるね。お節介の判断は、間違えちゃいけないってコトだね。役に立つと思ってするのがお節介だから。役に立たないと分かった時点で退くのも、最良の判断じゃないかな。しょうがない。役に立たないモノは役に立たない。自分が出来る範囲だけ、お節介はやくってコトだね

-えすかれーしょん