今日は心の疲れについて、チョッとね
えき
体の疲れは、寝るコト
心の疲れは、自分が益になるコト
体の疲れなら、寝りゃ治る。寝ている間に、体の細胞たちが、治癒してくれる
心は寝ても治らない。仕組みが違う
心は、誰かを助けるコトで治っていく。自分が益になる
誰かを助けて、自分の存在を益にすると、心って癒える
心自体って、どうも自分ひとりで成立しない
他者との関係の中で成り立っている。他者との関係、他者と共感する役割
自分だけではなく、他者が傷ついても、共感の働きで自分も傷つく
それが心の仕組み
おそらく原点は母親。子育てをする動物から、心は生まれてきた
子供の痛みを共感するコトで、子孫の生存率を高める
とても有効な戦略。自分も痛めば、子供を守ろうとする
共感が、弱い存在を守って、結果生存率は高まる
そこから子育てに限らず、弱いモノを守ろうとする、社会性にも繋がっていく
心という共感するシステムがあるコトで、生存の可能性は飛躍的に上がる
誰かが傷ついた時、自分も傷つく。とすると、ダレかを傷つけた時も、自分が傷つく
つまりは、自分が誰かにとって、不利益な存在になった時も心は傷ついている
だったら、その逆の誰かを助けて、自分が益の存在になれば
それで心は治っていける
自分の心が傷ついたんだから、自分が助けて欲しい。普通はそう考える
でも、誰かに助けて貰ったとしても、その後がある
そのあと、自分が誰かを助けないと。益ある存在にならないと
本当の意味で、心は治らない
心の傷って、ずっと引きずり続ける。ずっと痛い
その時期を乗り越えて、状況が変わっても、ずっと痛む
その痛みを和らげるには、苦しんでいる誰かを助けるコト
心が疲れているヒトは、自分だけがその苦しみの中にいると思いがち
でもそんなコトはない。みんないろんな境遇に遭い、苦しんでいる
沢山の先輩がいる。その先輩たちも、実は痛んでいる
自分が苦しんだ頃の痛みがぶり返して、境遇が違っていても苦しんでいる
心は共鳴のシステム。痛みを共有して苦しみ続ける
その痛みを癒す方法は、唯一苦しんでいるヒトを助けるコト
自分が誰かにとって、益ある存在になる
心って沢山傷ついて、誰かに助けて貰って、それでも痛みがぶり返して、それで誰かを助けていく
とっても大きい、循環の中にあるような気がする
そして、誰かを傷つけると、自分も傷つくシステムでもある。それは後ろめたさ
何か分からないけど、罪悪感として重たい闇が襲ってくる
それも心の作用。不利益な存在になっちゃイケない
社会性の中で、生存率を高める心というシステムを、持っているんだからね
益は、戦略。他者を生かすコトが、自分を生かすコトになる。心はそれを実現化するシステム。痛みが共有されて、強くなる
弱者とか、苦しんでいる人を助ける為のシステムね。確かに痛めば、なんとかしたくなる。痛みがなきゃ、何もしない。繋がりも弱い。とすると、痛みによるネットワークを構築しているのが、心なのかもしれない。痛みの通信。記憶の中で、同じ痛みが疼いて、共感する。それがより強い社会をつくり出す。う〜ん。うまく出来てる