今日は、ヒトが作るモノのクオリティについて、チョッとね
しょぼい
ヒトが作り出すモノ
ヒトが作り出すモノって、最初はだいたいショボい
このショボいって、なんだろう。なんでそんな風に感じるんだろう
だいたい作ろうとすると、思っているよりショボくなる。なので、いかにショボさを消すかに重点が置かれる
いかに誤魔化すか。そう言い換えても、良い
例えると、自然にあるモノ。それをマネて作る
とてもショボいモノになる。クオリティはとても低い
モノをマネて作るのは、技術がいる
表面をマネて作る技術を持ったとして、それでも足りない
なぜなら、本物は表面やカタチだけじゃない。中身が伴わないと
ヒトは中身までは作らないから。ショボくなるのも当然
中身がない、作り物しかヒトは作らない
それらしいモノしか、最初から作る気はない。それがショボくなる理由
最初から、ショボくなるというのは決まっている。なるべくして、なっている
ヒトはまだ、本物を作る能力は無い
自然にあるモノ、そのどれもヒトは作るコトが出来無い
うわべだけをマネした、それらしいモノを作るだけ
うわべだけ完璧にマネできても、やはり本物とはナニかが違う
中身があるモノとは、ナニかが違ってしまう
積み上げてきたモノ。歴史が再現できない。そこだと思う
歴史まで再現できないので、浅くなってしまう
結局軽くなってしまっている。とっても、ちゃらい。ヒトが作るモノって、最終的にちゃらい
そのちゃらさが、ショボいと感じさせる
ヒトの能力では、表面しかマネできない
ショボいは、限界。ヒトが出来るのは、表面だけ。中身までは作れない。同時に、それをショボいと感じ取る能力は備わっている
感じる能力って、多分論理を越えている。何かオカシイ。そう思わせる違和感。それは表面を突き抜けて、中身の無さを見抜くチカラと言える。ショボいって、感じるセンサーが高性能だってコトの裏返しでもある。なのでかなりのモノを作らないと、ショボく感じちゃうんだろうね