ぎぜん
きれいゴト
カッコつけ
きれいゴトで、カッコつけ、そして偽善
ヒトに言われるコト。そして言うコトバ
そのコトバを投げかける側は、何を思ってそれを言うのだろう
偽善や、きれいゴトや、カッコつけと言うくらいだから、否定的
そして疑いの眼差し
パフォーマンスとして、自分を良く見せようとしている。そう考えている
理解が出来ない。なぜそういうコトをしている
理解が出来ないので、当然疑いの眼差しになる
では本当に、パフォーマンスだろうか
注目したいのは、温度差。疑うヒトは、距離がある
当事者意識はない。他人意識
そしてプライド
プライドがそうさせる。自分が正しい
となれば、自分と違う行動をしている者は、悪者
悪者になって貰わなければ困る
自分と距離があるほど、理解出来ないほど、悪者
世間的に善いコトだとしても、それは悪者。そうでないと自分が正しくなれない
世の中的には善いコトをしている悪者なので、偽善者、きれいゴト、カッコつけとなる
実際どうかは関係ない
自分が正しくなる為に、偽善者で居てくれないと困る
プライドであり、自分の身を守りたい保身
安全圏の中で、小手先で他人を責める
いや、それは歪められているだけで、本当は自分を責めている
その責めがあまりに辛いので、ヒトを否定してお茶を濁している
頭の中では、参加しようとしている。行動しようとしている
でも、理解が出来ない。それは、当事者でないから
まだ経験不足。自分が助けられる側に、居たコトがない
行動は結局恩返し。当事者意識は、以前助けられたから出てくる
未経験者には分かるハズがない
未経験者であれば、点数稼ぎの偽善者。そう考えても、おかしくない
経験者は恩返し。恩返しでない者は、偽善者かもしれない
経験は大切
助け合いが本物になるのは、経験しないといけない
ヒトがヒトになる為には、経験していかないと本物には成れない
情報だけでは、まだ本物ではない。偽善者やきれいゴトや、カッコつけ
恩返しならば、本物。恩返しが、偽善やきれいゴトやカッコつけになるハズはない
いろいろと困るコトは起きる。そして助けてもらえる。その経験で、ヒトになる
未経験者は、まだ本物ではない。点数稼ぎの偽善
点数稼ぎの偽善であっても、良いように思う。それも経験
全てが恩返しでは成立しない。出来るヒトが出来る中で、そして迷いの中で
見よう見マネで行動するのは、それも経験
それぞれのサイドで、それぞれに迷いながら、行動していけばいい
偽善は、未経験。マネをするのも、否定をするのも、ヒトのする事。大切な段階。それは本物になる前のリハーサル
恩があれば、本物になるね。ただの恩返し。点数稼ぎにもならないし、パフォーマンスでもない。貰ったから、返しているだけ。私も沢山頂いた。返していかないといけないね。偽善者だとか、カッコつけだとか言われても関係ないよね。恩返しだもの