えすかれーしょん

もとめる

もとめる

遊びたい

休みたい

遊びたいや休みたいと求める。これは我慢と仕事をしていた証拠

我慢していると遊びたくなる。仕事をすると、休みたくなる

我慢や仕事。他のヒトから見て分かりにくいモノでも、遊びたいや休みたいと求めれば、その状態

例えば、全然働いていないように見えても、休みたいと思えば働いている

これは、肉体的なモノも、精神的なモノにおいても言える

肉体的と言っても労働とは限らない。体の中でもいろんな働きがある

カラダはほとんど動かしていなくても、体の中はフル活動というコトもありうる

これは精神的なモノも同じ。本人も気づかないコトもある

休みたいや、遊びたいは、体や精神からのシグナル

体や精神は、休みたい遊びたいを求めて、シグナルとして発信している

我慢しなければならないコトも多い。我慢はし続けるコトは出来る

でも、限界もある。そこで遊びを求める。遊びは我慢で積もった不満を解放してくれる

遊びという、半自由。半主体的に動ける中で、イヤな感覚は解放されていく

なぜ半自由など『半』なのかと言えば、全部自由や全部主体的では、それはそれで負担となってしまうから

自由や主体的に動けると、自分でやらなければイケない部分とぶつかる。これが負担になってしまう

あくまで半自由、半主体的な遊びの中で、我慢から来る不満は解消される

見えるモノでも、見えないモノでも、我慢や仕事はある

逆に我慢や仕事をしていなければ、遊びたいや休みたいという気持ちは弱くなる

ある程度までバランスが崩れると、求めるようになる

求めてバランスを取ろうとする。それが休みと遊び

休みと遊びに変換され、自身で治癒する方向に導く

自覚もない。でも、シグナルとしてちゃんと発信している

このシグナルなら、他人であっても読み取るコトが出来る

それを見て、自身や他人に対しての振る舞いや負担を、変えてもいいと思う

体や精神は求めている。ずいぶんと無視し続けられるが、発信している

少しだけでも読み取って、汲んであげたい

体や精神を壊す前に。早め早めに気づいて対応する。それで健康でいられるように思う

求めるは、治癒。休みたいや遊びたいは、体と精神からのシグナル。まだアクセルを踏むか、少しブレーキをかけるかの判断基準

遊びたいや休みたいというカタチで、表れてくるんだ。なるほど、逆に言えばそれがあれば働いてるし、我慢もしてる。何も役に立っていないように思えても、自分はがんばってるって自覚も出来るね

-えすかれーしょん