えすかれーしょん

みせびらかす

みせびらかす

住む

必要ない

家に住むだけなら、見せびらかす必要は無い。家

家に住む。雨や雪をしのげる。周りの危険から、身を守る

そして、外気を遮断して、室温を保つコトで快適にすごせる

家というのは、とても実質的なモノ

でも、それだけでは無く、見せびらかしの対象にもなる

いや、見せびらかして悪いとは言わない

でもどうして、実質的なハズの家が、見せびらかしの対象になるのか。それを知ろうと思う

家自体は、立てるのに時間もヒトもお金もかかる

それは、そのヒトの財力を示すモノでもある

家が、大きければ大きいほど、または豪華ならば豪華であるほど、そのヒトの財力も多いと言える

なるほど、家というのはそのヒトの財力を表す、指標なのか

財力の指標ならば、見せびらかすと言うコトも直結する

結論が出てしまった。でもここで終わるわけにもいかない。どうしよう

財力があるヒトは、何でその財力を示すのだろう

食事、着るモノ、装飾品。魅力的な異性を周りに置く。お手伝いを沢山雇う。豪華な家を建てる

そうか、財力を示す為のモノって、意外に少ないのかもしれない

豪華な家を建てるというのは、その最有力なやり方

自分の財を、いくらでもつぎ込めるモノ。そしてそれは、他のヒトにシッカリと見せびらかすコトが出来る

それで、豪華な家というのが存在するのか

財力を持つと、それを見せびらかせたい。そうなのだろうか

有り余る財力があったとする。どんどんさらに、財は溜まっていく

財はあっても、使わなければただのヒトと同じ。財があるヒトは、使わなければいけない

使わなければ、お金と同居しているだけのヒトになる

お金と同居しても、古新聞が沢山積んであるのと、大して変わらない

お金は虚しくさせ、邪魔と感じるだけの存在と言える

せっかくお金があっても、その気持ちよさに浸れない

お金は使わないと、その気持ちよさを味わうコトが出来無い

では、ただヒッソリと使えばいいのか。誰にも気づかれずに、ヒッソリと

自分だけの世界をつくり、そこに贅沢なモノを集めていく

そのやり方もありだと思う。ヒッソリとやるので、やっかみなどを喰らわなくても済む

でも、贅沢なモノを手に入れて、自分だけで楽しめるだろうか

他のヒトは、そのことは知らない。他のヒトと同じように、自分を見る

他のヒトと同じというのは、良い面と悪い面がある

贅沢で特別なモノを持っている。その喜びだけならば、ヒッソリとやればいい

でも、自分も特別な存在となりたいと思うなら、他のヒトに見せびらかすしかない

財力を持っていると示す事で、他のヒトとは違う特別な存在と、みんなに思って貰える

贅沢なモノ、特別なモノを持っているだけであって、本当はそのヒトが特別な存在ではない

でも、財力を見せびらかせると、おこぼれを貰おうと集まってくるヒトは多い

とても滑稽であるけれど、財力があるヒトは見せびらかすコトで、一応特別になる

ドラえもんの中の、スネ夫をイメージすると分かり易いかもしれない

チカラはないけれど、みんなが欲しがるモノを自慢する事で、ポジションを取れる

もしもスネ夫が、見せびらかせるモノが無ければ、のび太とあまり変わらないだろうと思う

スネ夫はお金のチカラを借りて、自分のポジションを作れている

お金の力を借りる。本人が持ち合わせているチカラではない

考えれば、財力というのはパターンは少ない。もともとそのヒトのチカラではない

それだけに個性は少なく、みんな同じような見せびらかしになる

つまり、そのヒトが金持ちの振る舞いをするのではなく、振る舞いをさせられている

金に操られて、そういう振る舞いをさせられている

最終的に言うと、とても虚しい生き方。どうやら、お金というのは虚しさをくれる

使っても、使わなくても、それを沢山持ったモノは虚しさだけが、残ってしまう

虚栄心は満たされる。でも、お金は何もしてくれない。ヒトは集まる。でもそのヒトはお金を見ている

ヒトは集まっても、自分見ているヒトは誰も居ない。お金を見て、自分を見てくれない

お金に魅了される、贅沢品は人を引きつけるが、ダレも自分を見てくれない

自分を素通りして、お金やモノを見てウットリしているだけ


それが虚しさをつくる。自分は、素通りされる。それが悲しい現実。虚しさの要因

見せびらかすは、虚しい。財力で特別な存在にはなれるが、それは自分のチカラではない。自分はお金の、添え物に過ぎない

いや〜。お金持ちになったコトないけど、お金持ちも虚しいんだな。確かに自分のチカラじゃない。ダレも自分を見てくれないんじゃ、それは虚しいよなぁ

-えすかれーしょん