えすかれーしょん

なまぬるい

なまぬるい

36.5°

ヒトだから

36.5°という生ぬるい状態。それはヒトだから

ヒトは、誰でも生ぬるい

それはヒトである限り、続いていく

生きている限り、生ぬるさを残す

そんな自分の生ぬるさも、意識出来ず、ヒトの生ぬるさを嫌だと感じる

生ぬるさは、嫌なコトなんだろう

どうして、生ぬるさはダメなんだろうか

それはハッキリしないからだと思う。どちらでもない。熱くも、冷たくも、どちらでもない

ひたすら生ぬるい、物体

では、熱ければいいのか?熱いとなると、それはそれで不快

冷たいとどうだろう。・・・・・・・どうもそれも不快

とすると、ハッキリとしないから嫌だというのは、間違いかもしれない

一体どういうコトだろうか。なぜ嫌だと感じるんだろう

相手にはいろんなモノを求める

でも、たいてい相手はそれに応えてくれない。ガッカリする

そのガッカリの時に、なんて、生ぬるいんだと感じる

また、他の誰かが自分の都合のいいような、振る舞いをする

そのヒトにとっては、都合がいいが、こっちにとっては迷惑なだけ

身勝手に振る舞って、こっちにもいろんなモノを求めてくる

こちらの都合も考えず、いろんなモノを求めてくる人を見ると、とても生ぬるく感じる

求めすぎる。相手に対しても求めるし、他のヒトからも求められる

その求めてしまうというのを、生ぬるいと思い、嫌だと感じる

ハッキリしないことが生ぬるいのではなく、ヒトが身勝手に求めすぎるその体質が、生ぬるい

相手に甘えすぎて、身勝手に振る舞い、自分の足り無さを相手に求める

相手が自分の求めに応えられなくても、嫌だと感じる

なぜそんなに、ヒトは求めてしまうのだろう

それは、脳。脳の中では、先に進んでいる。いろんなコトをすっ飛ばして、うまくいく

でも現実はそうはいかない。ひとつずつ、着実に進める必要がある

脳と現実との差を、相手に埋めて貰おうとする。相手も、それを埋める能力など無い

また、自分の脳の中は自由。現実もそのまま、自由に振る舞ってしまう

脳の中と同じように、他のヒトもそれを許してくれると、思ってしまう

そのヒトの都合のいい考えが、生ぬるさを生み、嫌な感じにさせている

ひと言で言えば、自分を知らない。相手も知らない

生きている限り、永遠のテーマ。求めても、出てこない。身勝手は迷惑

それを知り、自分が担うコトを意識する

自由すぎる脳は、道具。その脳でイメージし、現実化を自分で担う

相手に求めるべきではない。甘えるべきではない

自分の生ぬるさが、相手にも生ぬるさを感じさせていた

生ぬるさは、体温36.5°ではなく、脳と現実とのギャップだった

それを知り、自分が担うコトを意識する。自分がギャップを埋める側になる

他人も生ぬるいが、自分が一番生ぬるい。ギャップはある。それを埋めるコトを、相手に求めない

生ぬるいは、自分。脳と現実のギャップが、どうしても存在する。自分の振るまいと、ヒトに求めすぎない意識は、必要じゃないかと思う

-えすかれーしょん