あらためる
害を出す
放置は出来ない
そのままでは害を出し、放置は出来ない。改めてもらう必要がある
改めてもらうと言っても、強制は出来ない
強制するのは、相手の主体性を殺す
それでは改めたコトにならない
やらされているだけで、本当に改めてはいない
しばらくして、同じ害を繰り返してしまうようでは意味がない
では、どうすればいいのか
ヒトが改める時は、懲りた時
懲りて責められて、それが辛くて改めようと考える
責められなければ、懲りない。懲りる為には、責められてそこから逃げ出したいと思う必要がある
責められて、嫌な思いをするというのも、必要なのか
ただ、社会では、チカラ関係で責めを受けにくい人もいる
逃げ出したいほどの、責めにならない立場の人間もいる
高い立場にいる人ほど、反撃のやり方はいくらでもあり、逆効果になる可能性も高い
責められて、懲りるというコトに期待するのは、少し無理があるのかもしれない
責められて改めるコトを期待するのは、チカラ関係があるので、難しい
ではどうするか
ヒトは、あるべき自分をイメージして生きている
つまり立派である自分のイメージ
害を出す行動は、立派ではない
とすれば、そのあろうとする自分のイメージを利用すれば、改めさせるコトも、可能かもしれない
これはチカラを使わないので、高い立場の人にも効果的
『あなたは、もっと立派なハズ。そんな行動をする人間では、無いハズ』
『本来なら、もっと責任ある行動をとり、他のヒトからも慕われるハズ。今のあなたは、本当のあなたではない』
そのような言葉だろうか
あるべきイメージを、相手に求めていく。勿論強制はしていない
改めるかどうかは、相手次第。でも、ヒトにはあるべき自分から、外れたくない気持ちも強い
つまり、自分が望むコトは裏切れない。自分を裏切るコトは出来ない
であるならば、本来の姿として、より立派なイメージであるハズと、促すのは効果的
最後の手段であるが、最大の効果を持つ
責められて、懲りるというのも有効だが、効果は一時的
ヒトにもよるが、ほとぼりが冷めると、また害を出す可能性がある
あるべき立派な自分を、イメージさせる方が、強い
自分は裏切れない。蔑むのではなく、促す。あるべき立派なそのヒトのイメージを見せる
改めるは、戻る。懲りて逃げるやり方と、立派な自分に戻るの二つ。ヒトはもっと立派であるハズ。そこに戻ればいい