おもさ
違い
するべきコト、ひとつひとつ
するべきコトひとつひとつに、重さを感じる
やらなければ、イケないコトがある。そのモノは、重さとして感じいて、重いモノはやりたくない
よく、気が重いという表現が、これにあたると思う
どうして、やらなければならないコトに、重さを感じるのだろう
やるべきコトが、重いと感じる時は、時間が関係している場合が多い
短い時間で済むモノほど、軽いと考えてイイ
長い時間、費やさなければ出来ないモノは、重い
他には、ヒトからのプレッシャーも関係する
プレッシャーが掛かるほどに、重く感じる
他のヒトを巻き込まないモノは、さほど重くない
他のヒトから、求められないモノは、重く感じない
ヒトから結果を求められ、上手くいかなかった時に、責められる場合は、とても重たいモノとなる
とすると、重いか軽いかを決めるのは、労働
責任ある労働であるほど、重くなるのだろうか
たしかに、やるべきコトの中でも、労働と考えられるモノは重い
それはそうだけれど、責任ある労働でも、楽しくやれるモノも存在しているように思う
それは自分の納得。そして、やりがいが伴った時。そう感じる
やりがいや納得は、意識との同調。労働が、意識と同調している時は、重くはならない
意識との同調がなく、タダやらされているという時、とても重く感じられる
結果としては、同じモノが出て来たとしても、意識の同調がなければとても重労働
重要な要素は、意識との同調かもしれない
意識は、目に見えないので、あまり重要視されてこなかった
でも、それが最も重要なコトなのかもしれない
意識との同調。いわゆるモチベーション(動機付け)と言われるモノが、一番近い気がする
短時間で、プレッシャーのないモノであるならば、必要ない
でも、時間もプレッシャーも掛かる労働なら、必ず意識と同調させたい
そうでなければ、重たすぎる
意識は違う所にいて、体だけが労働をするのでは、準備も対応も遅れる
その結果、体にとても負担が掛かる
意識と同調されていれば、準備も対応もスムーズに行く。体への負担が軽減される
日本はとくに、強いプレッシャーと長い時間の労働を強いられる国
意識の同調という要素は、絶対に必要なのに欠けていたモノ
まずは意識の同調から。ほんの少し、動かない時間を作り、意識を同調させる
動いてはいけない。イメージ作り。今日の労働の終わりまで、そして不確定要素があった時のイメージもしておく
スタートとゴール。動機と理想の結果をイメージ。それで意識と同調させてくれる
意識とキッチリ同調してくれれば、重さは感じない
なぜなら無理がないから
それで、カラダの負荷は減る。健康でいられる
重さは無理。労働と、意識を同調させ、やるべきコトへの重たさを、かき消す。意識と体の断絶の解消