えすかれーしょん

かかわりたい

かかわりたい

興味

上からか、それとも下からか

関わりたいと思った時、上からか、下からか、それとも対等に関わるか

興味はある。関わりたいと思う。その状態は、ツイッターをしているとよく生まれる欲求

その時に、対等に関わるのか、上から関わるのか、下から関わるのか

その関わり方の立場は、実は難しい

さらには、対立の関係の場合、感情的な罵り合いに発展しやすい

対立の関係なので、あまり関わらなければいいが、乱反射してツイートは飛び込んでくる

郵便ポストに入ってくるモノを、無視するヒトはいない

確認作業はする

それを接点として、または確認作業の一貫として、興味は湧いてくる

関わってみるかという、興味。それはあるが、どう関わっていくかは決まっていない

欲求に沿う関わりならば、あまりお行儀のよくない、言葉遣いになる

その時はそれで良い

でも、その関わりをホントに求めているのだろうか

ツイッター上というのは、有名人は公的な場になるし、無名であればローカルな場になる

そういう特徴がある

たとえばテレビに対する姿勢のごとく、ツイッター上でも同じように接してしまう

画面上のモノなので、テレビとの違いを感じない

一方向のテレビと同じように、ツイッター上でも接してしまう

でも、ツイッター上はやり取りが出来る。テレビとは違う

相手が返してくる。そこが違う

まだそこら辺の感覚が、曖昧になっている。テレビのような一方向との接し方になっている

つまり油断がある

油断したまま、関わってしまうメディアと言えると思う

なので上から接し、相手を不愉快にさせる

そして最終的には、逃げてしまう。これはテレビと接している時と、区別が出来ていないことで起こる現象

結局噛み合っていない

噛み合うというのは、それなりに覚悟がいると言うコト

覚悟がないままに関われば、逃げるしかない

嫌な思いにさせたまま、それをくり返せば、環境はどんどん悪くなる

ツイッターはテレビとは違う。会ってヒトと直接話すのに近い

会って話すよりも、本音をぶつけるコトも出来る。リスクが少ない分、本音も出しやすい

その特性から考えると、ツイッターでは対等か少し下からの関わりが、好ましい

油断してはいけない。油断しやすいが、配慮のないツイートは、環境を悪くする、関係を悪くしてしまう

誰がどう関わっても良いけれど、そこにはヒトが必ず存在している

ネットの向こうのヒトを意識して、配慮した関わりが必要がある

関わりたいは、興味。ツイッターとテレビは違う。向こうにヒトが居る。ヒトを意識した配慮ある関わり。直通で見知らぬヒトとヒトがやり取りする世界

-えすかれーしょん